異論を受け入れる

日々

解釈

同じことを見たときに、それをどう解釈するかで大きく印象は異なるね。あなたに興味があることは、おそらくは過剰に反応するだろうし、あなたにとって取るに足りないと思っていることはおそらくなんとも思わないだろう。そうやって同じことがそこにあったとしても、それぞれで全く違う世界がそこに広がっているわけだ。だから、あなたがそれを一大事だと思っている温度感と、他人のそれとは全く持って異なることは仕方がないことなんだ。それを理解せずに、あなたの世界を誰かに共有しようと押し付けたところで、うまくは行かないのはそのせいだね。こんなに大変なのにと思っているあなたと、それほどそうは思っていない誰かとのギャップはそうやっていつも埋まることはない。それなのにどうしてわからないのだと思い込むことが、いろんな関係の亀裂を生むことになるわけだ。

違う世界

そう、ある意味あなたの世界を生きているのはあなただけであって、誰かも同じであるという保証はない。もちろん馬が合う友人とは特に苦労もなく共有できたとしても、それを誰彼ともなく同じだと思うのは早計すぎるわけだ。それはあなたにとっての大切さと、誰かにとっての重要さは全く持って違うことからそうなるわけだね。だからあなたと反りの合わない人の世界はあなたと同じだと思わないほうがいい。むしろ全く違う世界をそれぞれが歩んでいるということに対してもっと尊重できると更に良いね。ところが、あなたが思うその正義と、誰かが思うそれとは全くかけ離れていることが多いから、やっぱりすべてがうまくいくのは難しい。だからそれを議論して、ややもすれば論破しようとすることは全く持って無駄骨なわけだ。あなたはあなたが思う世界を大切にすればいいだけのことで、誰かの世界と同じでないといけないと思うのは無理があるわけだ。

共感

あなたと同じ感性で世の中を生きている人は、実はそれほど多くないということをまずは認めよう。ほんの一部であるからこそ、あなたはあなたであって、他の誰かとは違うわけだ。それなのに、正義に関して言えばそれは普遍的な真理を持っていると思いこむがあまりに、どうにもこうにもあなたの意見に異を唱える人は許すことができないようになる。もちろんそれを統制するために法律があるわけだけれども、逆に言えば法律に違反していなければ四の五の言うことは控えたほうがいいね。もちろん、あなたにとっては法に反していないからといってなんでもやっていいのかという憤りはあるだろう。でも、あなたがいつも正しく真理であるという保証も法によってしか支えることはできないわけだ。だからといってあなたの信念を曲げなさいと言っているわけではないよ。あなたがそれが正しいと思うのも全く持って誰かの迷惑にならない限りそれでいい。ただ、他人にまで押し付けようとするのが良くないだけの話だね。