昨日のあなたはもういない

日々

論理と感情

論理建てて説明している風に見せかけているけれども、その根幹や裏側には感情が潜んでいると台無しになってしまうことが多いね。ポジショントークばかりを正論として吐き出すことが多くなり、その反対の意見や批判を受け入れがたくなる。そうなると、新たな気づきや学びの機会を失うことなり、自らの成長はそこで止まってしまうね。あまりにも整合性を保つことばかりに注意が向きすぎるのは良いことがない。そんなことに多くのエネルギーと人生の時間を費やした結果は、誰の意見も聞こえない時代錯誤も甚だしい存在として疎まれてしまう。だからといって何も嫌われ者がだめだという単純なことを表しているわけではなく、嫌われても学び続けられるかどうかが一番の相違点だね。自ら問いを立てて学び続けていくことができるのなら、そもそもあなたを守る防壁も鎧も必要はないはずだ。

理論武装

感情が先にあって、それをなんとか正当化するために後づけで理論を組み立てている。それを重ねることで理論武装が上手になって、誰かどう言おうと論破できるようになるだろう。ただし、反対意見や批判を上手にかわすことができるようになってしまったら、それと引き換えに、あなたは自ら学び変化し続ける可能性をどんどん失ってしまう。しばらくはそれで尊敬されたり、うまくいったりするかもしれないけれども、時代がどんどん変化していることに気づかず、結局のところずっと同じところにとどまる古びた存在へと近づいてしまうわけだね。変わらぬ信念というのは、確かに一本筋が通った存在として、プライドや気高さを保つことができる一方で、正解のない世界を生き抜くにおいては、逆に邪魔になってしまうわけだ。

マジシャン

手品の種明かしのように、正解を隠し持ってそれを出し惜しみするかのごとく、少しずつ手の内を明かしていくようなことを続けていると、あなたの手の内がだんだん悟られてしまったあとは、打つ手がなくなってしまう。頑張って蓄えたそれらもいずれは枯渇するわけだ。そうなると、それまでのあなたの威厳やプライドを失わないようにするために、どんどん苦しくなってしまうのは自明のことだね。柔軟さやしなやかさを常にもち、強風にしなだれる柳のように受け流しつつなびくことも強かさの条件でもある。さらに言えば、そうやって常に身軽であることで、どれだけの逆風があっても折れたりすることもなくなるね。もちろん、風向きが変われば傾きも全く変わるわけだけれども、昨日言っていたことが今日になってコロコロ変わることは決して良い悪いという次元のことではないんだ。だって、昨日のあなたと今日のあなたは細胞レベルでも脳神経レベルでも全く違う別人だということは、科学でも明らかにされている。あなたがこだわるそれらは、あなたの記憶をわざわざ呼び覚まして無理くりそうしているだけのことなんだからね。