つらい時こそ笑うには
視座
どこから見るかで同じことでも全く意味が異なる。あなたの世界はそうやって見る場所によって大きくなったり小さくなったりしている。眼の前で繰り広げられるいろんな出来事によってあなたはいつも感情を揺さぶられ続けている。でもそれがどうにも耐えられないほどのものになったとき、視座を変更してみよう。例えば友人や恋人に誤解されてとてもショックを受けたとしても、それは大切な一人とあなたの世界での出来事だね。学校や会社でとても辛い出来事があったとき、それはあなたが関わっているほんの数人の出来事だ。SNSで誹謗中傷を受けてショックを受けたとしても、せいぜい十数人ぐらいではないかな。ここでのポイントはそれらは決して世界のすべてを網羅するような規模のものではないということだ。もっと言えば宇宙からすると、あまりに小さくてもはや見ることすら困難な範囲での出来事に過ぎないね。
スケール
でも、あなたにとってはそれが世界のすべてであり、もはや人生そのものへ影響を及ぼすわけだ。考えてみればとても不思議なことで、あなたが思い悩んでいる世界なんて見る場所が変われば、びっくりするぐらいどうでもいい小さな範囲でしかない。けれども、あなたにとってはそれがすべてであり、それによってあなたの生き様をも変えてしまうぐらいの破壊力を持っているわけだ。もちろんあなたの世界観はあなたしかわからないものであるから、それはそれで大切にしていけばいい。けれどもあまりにつらくてどうしようもないのなら、ちょっとだけ深呼吸して無理してでも遠くを見るようにしてみよう。そうすることで、もしかしたらあなたのその苦しみや悩みに対する辛さが、少しでも変化するかもしれないからね。重大さはおそらくは絶対値があるわけではなく、見る場所によって変わる可能性を持っている。
少し離れること
もちろん、どこから見てもひどすぎて目を覆うような出来事もあるだろう。それは視座の変更ぐらいではどうにもならない。だからといってそれがあなたに直接なにか影響を及ぼしていないのなら、少しだけ距離をおいた方がいいかもしれない。それをなんとかしようというあなたの優しさは素晴らしいけれども、あまりにそれが強すぎてあなたまでただならぬ影響があるのなら近づくのを一旦やめたほうがいいね。それを勧めるのは、その方がやっぱり視界が少し広がって他の緩和策なり解決策がもしかしたら見つかるかもしれないからだ。あまりに近すぎるがあまりに憎しみも苦しみも増強される傾向にあるからね。近視眼的に見続けたあとは、視座を変えて少し遠くから俯瞰できるのが望ましいのはそういう理由からだ。思い込みや勘違いなんて、実はそういう状況で発生するのだからね。なんならもし全く違うことを考えたりできるのならば、それをした方が結果的にはあなたの苦しみも一旦は収まり、かつ打開策が見つかるだろう。短期的、近視眼的な視座から長期的、俯瞰的な視点に変える効能はそういうところにあるね。