ひねくれ者
偏向
あなたはどのみち偏った考えしか持てない。だからその偏りを心から愛すればいいだけだ。そう言うと反論があるだろう。でもそれは実はどうしようもないことなんだ。誰かに押し付けられた末に、あなたはそれを受け止めたり反発したりして、あなたは必ず偏っていくしかないからね。そのどちらでもないとなると、あなたには意思が存在しなくなり、それこそあなたが溶けていなくなってしまう。青が好きか、赤が好きか、素直さが大切だと思うとか、計画性が重要だと思うとか、いずれにせよそんな偏りの総体が今のあなたであることは間違いない。一般的にはそれを特性とか個性とか呼んで、なんとなく偏っているという言い方をうまく交わしているだけで、実は誰もが何かしら偏っている存在だからこそ、そこに生き様が生じるわけだ。
教育
一方的に押し付けるのが教育であり、押し付けるのは良くないと言ったところで、それも押し付けないという偏りを押し付けているとも言えるね。親や教師がこの考えのほうがうまくいくと思っているからこそ、子にもそれを伝えている。その構造はどうにも避けられないわけだ。結局のところ、すべての押しつけを排除するという極端な教育方針を打ち出したところで、それを受けて育った子はやっぱりそういう風に偏っているわけだ。いずれにせよ、そうやって偏向した結果、その影響を受けた子どもたちがどうなるのかが知りたいわけだね。その結果が今のあなただ。心からあなた自身を受け入れることがそれまで関わり育ててくれたすべての人への感謝であり、あなた好みに見事に偏向した結果だとも言えるね。だからどう偏るかということが一番の議論となるわけだ。
生きるとは
偏ることであなたの生き様が生まれ、あなたがどう生きたいかがそこで浮かび上がる。逆に言えば、偏っているからそれを修正することもできるわけだ。青が好きだと思っていたけれども、最近は赤も悪くないと思い始めたり、押し付けるのはナンセンスだと思っていたけれども、まずはそれを受け入れるのも時には大きな学びなることもあるとか、どんどんあなたはその偏りを自在に操ることができるようになる。それこそが生きる喜びであり、躍動感あふれる人生となるわけだ。だから、誰かを忌み嫌ったり、出来事だけに点数をつけたり、そんなことばかりに気を取られ続けるのはあまり良策とは言えないね。そもそも偏ることで生まれたあなたなんだからこそ、あなたが偏っている逆にも傾けることができる余白がそこにあるわけだ。だから、固執して違和感をごまかすことでつらくなる前に、流れに沿って揺れ動き続けることで、心地よい場所を見つけたらいいわけだ。