なんとなく生きている

日々

なんとなく

なんとなく決めたことにやがて大きく支配されるようになる。それには実は根拠なんてなかったようなことでさえ、一旦そうだと決めたら不思議なことにそれが標準となるのがあなたの世界で起こっている。例えば一日朝、昼、夜とご飯を食べていたり、健康のために1万歩を目標にして歩いてみたり、水は一日に2リットルは飲もうと心がけたりしているね。それはいずれもどこかの誰かが決めたことだったり、周りのみんながそうしていることだったりするわけだ。ならきっと科学的な根拠がどこかにあるのだろうと、ちょっと真剣に探してみたところで実は元になるお話は見つかったとしても、だからといって間違いないというエビデンスも乏しかったりする。だから深く探求すればするほど、実はよくわからない状態になることも多いわけだ。

幸せの条件

恋愛についてもそうだね。誰かを好きになることは素敵なことだから、恋愛をしなければ幸せになれないとか、誰かと一緒にいられず、いつも一人でいるのは不自然だとか、そういう風に漠然と思い続けている。だから本当のところはそれでもあなたは十分幸せだったとしても、その基準を受け入れた瞬間に世の中で一番不幸な存在にもなれるわけだ。お金もそこそこある方がいいとされていて、あなたもそれを受け入れた瞬間に劣った存在に思えてくる。旅行した場所もそれほど多いわけでもないし、プライベートで充実した趣味も特に持ち合わせておらず、ただ日々を働くことだけで生きてきた半生を振り返って、ああ、あのときもっと楽しむことができなかったと暗い気持ちになったりもする。でもそれもこれもみんなあなたが決めたものではない。すべてはどこかの誰かが言ったことや、なんとなくそういうものだと思ったそれらに依存している。

不安のもと

テレビやSNSから大量に情報が発信される続けている。もうすべてを見られないほどのあふれる情報の渦の中にあなたはいる。そしてそれらをなんとなく眺めている。そこにどっぷりと浸かるのは良くないとさえ思っている。けれども、そう思えば思うほど取捨選択するためのモノサシを探し続けている。常にそれで測って、情報に騙されないようにと格闘しているわけだ。でも、そのあなたが基準としているモノサシ自体がそういう曖昧なものだったりするから注意したほうがいいね。そんな扇動的な言説に惑わされないようにと必死になればなるほど、あなたの拠り所も怪しいことを見落としてしまう。陰謀だとかとんでも理論だと批判するためには、あなたのモノサシがないとそれすら不可能なのは自明のことだからね。常識だとか善意だとか真偽なんてものは、いろんな角度から何度も見てようやくうっすら見えてくるようなものなんだから、あなたの基準をずっと磨き続ける必要があるね。疑いのない事実は、あなたが今そう思っていることだけしかない。でも明日にはそれは全く違うことを思っている。本来あなたとはそういうものなんだからね。