いつも初めて
判断
良いとか悪いとか、幸せだとか不幸だとか、いつもその都度その瞬間を見て判断している。逆に言えば、判断はそのいっときの集大成であり、それ以上のことを含むことはできないね。そうして様々な出来事に遭遇して、それを見て急いで結論を探す冒険の旅をあなたは生きているわけだ。ここは右に進むべきか、それとも左に避けるべきか、まっすぐに正面突破か、なんてことをいつもやってのけている。それ自体がとてもすごいことなんだよ。そしてそのほとんどがあなたの思惑通りにいかないことばかりが大半で、稀にうまくいったことを喜んでいるわけだ。それにしても、うまく行かないことのほうが圧倒的に多いからうんざりするわけだけれども、それもこれもみんなあなたの生きることそのものであり、人生の真価がそこにずっとあるわけだ。
思い込み
その瞬間の判断を、いつまでも引きずっていることでどんどん状況が良くなるどころか悪化していくわけだ。だからかつての経験はあくまでももう終わったことでしかなく、次の瞬間のなにかはそれとは切り離すことができればいいね。理想を言えば、そんなことをおぼえてしまうよりもどんどん忘れてしまったほうが気楽に生きられる。そういえばそんなこともあったかな、ぐらいでちょうどよく、それ以上に強く思い込みすぎるとすべてがその色に染まってしまう。結局のところそれがすべてになって、何を見ても同じように思って飽き飽きしてしまうわけだね。代わり映えのない毎日だと感じるということは、あなたはもはや毎日をしっかりと見つめることを恐れているからだ。もはや何もかもが同じにまとめられてデフォルメされてしまっていると、その中のほんの僅かな差異に気がつかないままになってしまうね。
同一視
気にもとめないかもしれないけれども、同じ種類の花をよく観察してみれば、同じようで少しずつ違っていて、一つたりとも全く同じ形をしたものがない。木の葉なんていつもはよく見たりすることもないだろう。小さな虫はあなたにとっては害悪だとまとめられているから、それらが実はとてもよく似ているとはいえ、それぞれ個性的な特徴があることを知る機会もない。そう、あなたの能力はそうやって本来違うものを同一視することなんだ。それがどんどん長けていくと、何を見ても、何を聞いても、ああ、またそれか、という感想で受け流してしまう。そうやって自然があなたに伝えるメッセージをどんどん見逃してしまうわけだ。いつもと同じ風景、いつもと同じ仲間に囲まれて、いつもと同じつまらない毎日だとまとめてしまっているのをやめて、すべてが初体験だと感じられたら、すべてが学びであり、すべてに感動と喜びを感じることができるだろう。今この瞬間に生きるとはそういう躍動的であることなんだ。