良く思われたいという幻想
他人の目
当たり前のように、あなたは誰かの評価を気にせずいられないようになっている。でも、生まれたての赤子を見れば、それは本能ではなく後に獲得した性質に過ぎないということがわかるね。さらに言えば、評価には良いと悪いが必ずあって、できればいい評価をもらいたいと何故か思い込んでいるし、そうなれば幸せだと感じるわけだ。そうやって他人の目の中にしかあなたの人生がない状態になる。端的に言えば心地よい空間の中に居続けたいと思うがあまりに、あなたの魂は蔑ろになっているのなら、それは偽物の幸せだとも言える。誰かの目ばかりの中に投影させ続けている人生はもはやあなたの人生ではない。その偽物の幸せを求めて、今日も運命を占っているわけだ。さて、あなたはそこに居て、あなたの人生は本当にそれで幸せなのだろうか。
嘘つき
いつの間にか世の中はこんなものだと諦めた瞬間があるかもしれない。社会的に評価されるために、あなたは懸命に嘘の自分を演じてきたね。頑張るあなたを演出したり、共感できるあなたをアピールしたり、思いやりや優しさも兼ね備えたあなたを自慢したりしてきた。さらに、能力は優れていて、影の努力なんて微塵にも見せずに隠して手品師のようにまるで自然に兼ね備えた神様のような顔をしてきた。そうやってあなた自身に嘘をついて、背伸びしてあなたをより立派に見えるようにすることが努力だと勘違いしてきたわけだ。だからこそ、そうしない他人を卑下したくなるし、自然にあなたが優位になるようにあらゆる意地悪を自然とこなすようになってしまったわけだ。誰かの目を気にするがあまりに、誰かを馬鹿にするようなことを続けたとしても、それで本当の幸せなんて感じられないことは自明のことだね。
嫌われる勇気
かつてのアドラー心理学が少し流行ったように、嫌われることを恐れるがあまりに、そうやってあなたの魂に嘘をついて現実化してきたわけだ。評価ばかりに気を取られ続けているうちに人生も終盤に近づいてきた。さて、あなたはその甲斐もあってそこそこ評判も良い状態にある。もちろんそれはほんの小さなコミュニティの中でしかないけれどもね。そうやって居心地の良い共同体に身を置き続けている。そしてその小さな世界の中であなたの冒険の旅は終焉を迎えるわけだ。だからこそ、あなたの魂はなんとなくモヤモヤし続けている。もうそこから一歩外に飛び出す勇気があるかどうかを問われているね。そこから飛び出せば何者でもないあなたに戻ってしまうことも知っている。それを恐れるがあまりにそれができずに葛藤している。心配しないでいいのは、そもそも赤子が教えてくれるようにあなたは何者でもない存在なんだ。何も失うこともないし、そうなったからといって不幸でもないはずなんだけれどもね。