意識という幻の中で
なりたい自分
こうでありたいと思っているけれども、なかなかそうはならない。だからこそ、そこへ向けてのジタバタ劇というか奮闘記が始まるわけだ。そのなりたい自分を見失ったときは、何者でもない自分がそこにいるだけとなる。もっと正確に言えば、本来のあなたへと回帰するわけだね。それが空虚に感じられるのは、あなたが常に何かを求め続けることに慣れてしまっているからであって、その求めているものも、あなたがそれを手にすることも、すべてはあなたの意識上の出来事に過ぎない。そのありたい自分像とは、例えばお金持ちになって有名人になっているあなたであったり、偉くなくても尊敬されるような人物であったり、ささやかながらも幸せいっぱいの人生を送っていたりする。どれもこれも結局のところ実態があると意識上でははっきりと思っているけれども、具体的にそれはどの状態かを指し示すのは困難だね。いわゆる一般的には漠然とした良いこととされるものや幸せを思い描いているだけのことだね。
認識
あなたの感性はいろんなことを認識するのにその力を発揮し、その後あなたとあなたが認識するものが生み出す映像と、そこから導き出される状況の3つで世界が生み出されている。簡単に言えば、あなたが仕事をつらいと思っている状況とは、あなたと仕事とつらいという3つの要素がそこには描かれているのと同じだね。仕事がなければあなたがつらいという状況は変化し、仕事とつらさだけでは、あなたはそこには介在しない。これらは意識上にしかないという意味では、あなたがぐっすりと眠っているときは、これらは夢の中でしか成立しないわけで、無意識下ではあなたの世界は成立しない。ということは、意識上で起こるそれらはすべて実体があるようでないものだとも言えるね。すべては幻であるとはそういう意味であり、だからこそ、その仕組みの関係性がわかれば応用が効くわけだ。
習慣
このすべては意識上の実体のないものであるという性質を利用して、あなたは例えば先延ばしにする習慣や癖をやめることができるわけだ。やりたいことをすぐにやりたいにもかかわらず、それを誤魔化して言い訳をすぐに生み出して、できる理由よりもできない言い訳が先にいくつも思い浮かべてしまうね。言い訳や理由だけがそこに存在し得ないわけだから、それらをうまく分解していけば言い訳を消し去ることを一瞬でやれるわけだ。やりたいけれども失敗したり徒労に終わるのを恐れているあなたがいる。その意識上の関連をバラバラにしてしまうと、どれもこれもそれ単体ではなんの意味ももたない幻だと見抜くことができる。失敗がどうしてカッコ悪いのかとか、徒労がなぜ損だと思うのかとか、やりたいことは誰が思っているのかとかね。上手にその関係性の再構築でそれこそなりたい自分に一瞬にしてなれるわけだよ。