穏やかな日々
愛の眼差し
起こったことに、良し悪しや損得を入れず、ただそのままに眺めているとき、あなたは愛に包まれている。なんてことのない日常を優しい眼差しで余計な判断を入れずただ受け入れているだけで、ほっこり楽しい時間がそこに流れているわけだね。ところが、あなたが特別に注目したり、贔屓目で意識的に見ることによってその愛はいつの間にかどこかへ消えてしまう。穏やかで優しい空間が、あっという間に熾烈な競争へと変わってしまう。ただただありのままを受けれることで、愛はそこに姿を表すのだから、何も足さず、何も引かず、そのままの状態をただ眺めているだけの状態をいかに長く続けられるかで、あなたの生活が一変するのはそういう理由だからだね。
深刻さ
ところが、どうしてもあなたがなにかに意識を向けるとき、どうしてもそれを厳しく判定してしまう癖が抜けない。ああ、あのときもっとこうしていればよかったとか、どうしてそんな風になってしまったんだとか、そういう思いでいっぱいになるとき、あなたの心は余白を失ってしまうね。やらなければならないことやあるべき目標なんて立てるのが、社会の責務でもあると教わって生きてきたわけだから、どうしてもその姿から現状を比べて、良い悪いとかの差分を求めて一喜一憂している。一方そんなことを気にしていない誰かからすれば、変なことにこだわっている人だとしか思われない。例えば今日はちょっと風が強いなとか、昨日に比べてちょっと寒いなとか、そんなことに意識が向くあまりに、ラッキーだかとアンラッキーだとかいちいち気にしている変わった人と同じなんだからね。あなたにとっての心の向きに余裕があるかどうかで、見えている世界が全く違ったものになる。
成功と失敗
そうだからと言って、さすがのあなたも、今日は風が強いからといって失敗だとは思わないね。思い返せばずっと季節は移り変わり、晴れの日も雨の日も、穏やかな風の日もあれば嵐のような日もある。そこに特別な意識を向けなければなんてことのない心の余裕がずっとそこにあったわけだ。おそらくもっと他に注目している何かがあれば、思い出せないかもしれないぐらいのことだ。そうやって実はあなたの目の前で目まぐるしく変化し続けているのが事実だ。ところがあなたの注目することに関しては、とてもシビアに損得勘定が働いている。特別な意味を与えているのはいつも出来事ではなく、あなただということがわかるかな。だからあなたがそれをただ優しい眼差しで眺めているだけのとき、愛に包まれた時間がそこに広がるわけだね。もはやまるごとあなたの人生を愛でていて、成功も失敗もすべてが愛しく思えるはずだね。