言葉にしてみる

日々

言葉の世界

世界は言葉でできている、なんて言うと言葉にできないことの方がたくさんあるとあなたは反論するだろう。確かに得も知れぬ気持ちや感情は言葉にすると途端に陳腐化してしまうね。そうじゃない、けれどもそれしか表現方法が見つからないというジレンマに陥ってしまうからだ。言葉はそれほど万能ではないことを知る一方で、言葉にできないことは表現することが困難だね。ならばそれ以外の絵とか彫刻のようなアートで表現しようとしたところで、それも結局受け止める方が言葉化してしまうね。感想とか受け取った内容とかを言葉にするとやっぱりそこに限界を感じる。イヌを見てかわいいと思ったり、ネコを見て心穏やかになるのも、結局は映像を言葉化して認識している。表現方法よりもそれを固定化する言葉の方が圧倒的に機能不足なんだ。

あなたの言葉

結局のところ、あなたがそのイマイチな言葉の世界で厳選した言葉を駆使しているわけだ。それこそメタファーをフル動員して、なんとかその情景や思いを伝えようともがき続けている。あなたが選びぬいたその言葉一つが、実はあなたの印象のすべてを司っている。同じことを見て、聞いて、思ったことをどう表現するかで、人はその人柄を見抜く力を持っている。それこそ言葉の表面的な意味や定義よりも、なぜそれを選んだのか、それを選ぶのにかかった時間や表情を見ている。コミュニケーションは書き言葉だととても制限されてしまうのは、そのせいだね。未だに会って話をしなければ本意がわからないと思っている人が多いのもそういう理由からだ。表情は息遣いや間のほうが受け取る内容のすべてがそこにあると知っているからね。

言葉の組み合わせ

それでも書き言葉でもその片鱗を伝えることができる。同じことを表現するにしてもどうやったらそれが伝わるかを逡巡した形跡をそこに感じ取ることができるからだ。ノンバーバルな部分に依存できないが故に、より一層慎重になるからね。なんなら新たな言葉を生み出す要因でもある。そうやって今共有している感情を揺さぶるために、すべてがそこに集約されている。新しい言葉はそういう意味ではアーティスティックだとも言えるね。他の芸術が言葉に限らない表現方法を模索する一方で、不完全だけれども言葉の世界に真摯に対峙しているわけだからね。そうやって人類は語彙を増やしてきた経緯がある。だから拙い言葉を紡ぐことを疎かにしてはあなたの世界がいつまで経ってもアップデートしないわけだね。だから言語化することを諦めないで続けてみてはいかがだろうか。