それで良いのだ

日々

想い

あなたがどう思っているのかが、あなたの人生そのものを生み出している。これまであなたが思った以外のことは、すべてなかったことになっているからだ。シンプルにあなたがそれを良いとか悪いとか思った瞬間にそれがそこに存在するわけで、あなたの感想を添えない何かはあなたにとっては、それは取るに足らないないものだと言って良い。あなたの興味関心があるものばかりでいつも世界は満たされており、あなたが気にかけるそれらによってあなたの悩みや苦しみは生み出されている。それが証拠にあなた以外の誰かの世界は、あなたが知らない世界であるし、そんなことを気にかけているなんて聞いてみるまでは想像もできないことばかりだ。だからこそ、多くの価値観を持つ人々と交流することで、あなたの世界はどんどん広がっていくように感じるわけだ。

仮説

あなたが感じられるそれらを材料にして、あなたはその時々であなたが心地よいと思う仮説や結論を一旦出している。そして何がベストとまで言わなくてもベターなのかをチョイスしているように思っている。でもそれらも実はあなたがそう感じたからそこにあるように見えているだけで、絶対的な真理ではないことは薄々感じているだろう。だから結論と言っても、それに依拠しすぎることはなく、当座の仮説として検証し続けているわけだ。その上での違和感や不整合を感じ取って、都度舵を修正しながらこれまで生きてきたね。方向性だけを決めて少し進んでみて、これじゃないと思ったらまた舵を切りなおすことの繰り返しが、あなたの人生そのものだとも言える。けれども、あなたが知る上での方向しか見えておらず、したがって突拍子もないところにたどり着くことはできないね。

風見鶏

風がそのときにどの向きで吹いているかなんて、あなたにも想像すらできない。そしてそうした時代背景に抗うことは誰にもできないわけだ。そのせいで、あなたがこっちだと思った向きに進もうにも向かい風になるときだってあるわけで、それはあなたが判断したことを否定するようなものでもない。たまたまそうなっていたから、向かい風になっただけで選択に誤りがあったからではないことぐらいは、すぐにわかるだろう。そんなときに無理をしてでもあなたが思う方向へ進む必要もない。状況に応じて一旦は退却することも間違いではないし、むしろその方が賢い選択だとも言える。そうするとまた仮説を練り直す必要があるだろう。そうして行ったり来たりを繰り返しながら、実のところあなたが決められるものはほとんど何もないことに気づくだろう。流れ流され風の吹かれるままに、あなたはずっとそこにいるだけなんだ。でも、それで良いわけだね。