すべてはあなた
楽しさ
楽しさをどうやって測ることができるだろうか。昨日と比べてなのか、誰かと比べてなのかで大体はわかると思っているね。ま、それでおおよその差異を掴んだとしても、それはあくまでもあなたの肌感でしかなく、誰かのそれとは全く同じか違うかすらもわからないね。楽しさという主観的な量を測るのはかなり難しい。ところが、なんとなく思っていることがあるね。あなたを取り巻く知っている人たちが楽しくなれば、実はあなたも楽しさを感じることができることだ。不思議なことに、あなただけの楽しさをどれほど追求したところで、そこには限界値が見えてくる。けれども、なぜか周りの楽しさのために全力を尽くすと、あなたもいつの間にか楽しさを享受している。だから、個人的な何かを求めてもうまく行かず、誰彼問わず楽しさの機会のようなものを増やすことが、ひいてはあなたの楽しさが増えるようだ。
幸せ
幸せをどうやって測ることができるだろうか。昨日と比べてなのか、誰かと比べてなのかで大体わかると思っているね。のように、楽しさとか幸せとか不幸せとかそういったあなたが主語になっている観念的な意味を有する語句にはそういう性質を持っているわけだ。そもそも比べようもないことを、まるで比べられるが如くに論理をすり替えて表現したり、根拠のない不安を煽って、それが解消されることで擬似的な幸せを売っていたりする。もちろんそれらはまやかしだ。けれどもこれほど金儲けの仕組みが明らかになった今でも、未だに騙され続けている人があとを絶たないね。それを個人の愚かさに帰結するのは簡単だからそうすることが多い。けれども、そんなよくわかってない個人が増えていることも考えられないね。だから、愚かさの原因を探すよりも、そういう生物が人間だと言ってしまった方が、わかりやすいだろう。
迎合
だから、あなたの直感に素直に従っていくだけでいい。あれこれと考えてうまくいかないのは、楽しさや幸せを説明できないのと同じだね。あなたが感覚を大切にすると実はあなたの楽しさや幸せが増えるのも、その実態があなたの世界の中の出来事だからだ。身近な友人や知人の楽しさや幸せを願うことが、あなたのそれらだからだとも言えるね。だからこそ、あなたはまやかしのものさしを手放すことで、あなたの世界は素敵なものとなる。間違いなくあなたの感覚としてのそれらは光り輝いている世界が広がるね。逆に誰かを慮っているだけで、あなた自身に嘘をつくことを続けてしまうと、結局のところあなたの世界はどんよりと曇ってしまう。それがこじれてひどくなると、他人を蹴落としたり、優劣で見下すようになってしまう。それはもはやあなたが望む世界から遠ざかっている目印でもあるわけだ。そのことに気づけば、あなたはこの瞬間から望む世界を生み出すことができるわけだよ。