裏と表

日々

やりたいこととやりたくないこと

やりたいことばかりの人生だと喜びあふれるそれになると錯覚しているだろう。でも、やりたくないことのおかげで、やりたいことに気づくことができる。逆にやりたいことだらけの世界がもしかなったならば、はじめはうまくいったと喜びに包まれるだろうけれども、少し時間が経てば、なんとなくつまらなく感じてしまうだろう。そう、やりたくないことは料理で言う隠し味とかスパイスみたいなもので、それがあるからこその旨味という喜びの引き立て役であるとも言えるね。だから、やりたくないこと、やらなければならないことはきちんとこなすぐらいの余裕がある方が、結果的に喜びの多い人生となるわけだ。いわば隙間があるから埋められるし、空っぽだからこそ新しい何かを受け入れることができるのと同じだね。言うなればすべてのものに裏と表や、明暗があるようにね。

両極

世の中の悪が滅びない限り、正義の使者が生まれるように、悪は実は必要悪なんだ。だから忌み嫌うだけではその真価はわからない。正しさという魔物は裏側には悪が必ず存在するわけだし、裏側がないものは、あなたが感じることもできないがゆえに、あなたの世界からはないものとなってしまう。それが望み通りであるならば、あなたの望みそのものも消滅してしまうだろう。あらゆる議論に対して批判があるように、すべてが正しいものなんて存在すらできないことに気づく。だからといって、あなたが悪に染まる必要などない。それも極端であってそうなろうとしても必ず裏側には正義がきちんと裏打ちされているからだ。その両輪は必ず必要でありどちらか一方に偏ってしまっては存在すら危ういのだからね。それはすべてがそうであり、喜びの多い人生の裏側には悲しく辛いことも同じだけあるだろうし、幸せばかりを願って生きていても結局のところそれと同じだけの不幸がきちんと存在しなければ成り立たないわけだからね。

願望成就

気がついたら、あれほど恋い焦がれていたことが実現したとしても、あなたはさらにそれを疑い続けてしまう。それは裏打ちを確かめることで間違いなくそれがあると思いたいがためでもある。その疑いによって素直に喜べないとすれば、あなたがそれを本当の意味で願っていることと同じだね。だから、逆に言えばこんなにうまくいくはずがないなんて信じたいのは、うまく行っていることの証拠でもあるとも言い換えることもできる。何がどうであってもそのままでいいのはそういう仕組みなんだ。もし不満足で疑い深い人生を送ってしまっているのなら、一旦その疑いを手放して見るのもいいかもしれない。明日裏切られるかもしれないけれども、今がその喜びを感じているのならば、それまでは存分に堪能すればいいだけのことだ。裏切られてつらい思いをいずれしたとしても、それは次の同じだけの幸せを感じるための布石でしかないのだからね。