汝を愛せよ
一所懸命
苦労している人ほど、楽している他人が許せなくなる。なぜならその苦労しているという認識は、誰かが必ず楽をしている人がいないと存在できないからだ。だからあなたは辛い環境でもめげずに頑張り続けているあなたを誇りに思っている。それが行き過ぎると周りの人を知らず知らずのうちに見下すようになってしまうね。あなたはあなたの苦労しか知らないというのに、他の誰かと比べないとあなたのその頑張りが報われない状況に陥ってしまうからだ。だから、もしそんな感情に包まれてしまったならば、他の誰かを見ないようにするのがいい。それこそ無我夢中なときを思い出せばいいように、あなたがその物事と同化して一体になっているようにね。本当にあなたがそれを頑張りたいのならば、余計な情報をシャットアウトすると真価を発揮できる。
周りの目
そうやって知らず知らずのうちに、あなたは誰かの目を頼りに生きてしまっている。やっかみや嫉妬はその象徴であり、それもあなたの問題ではなく誰かの問題だというのに、勝手にあなたがその誰かに同化して同じように比べてしまっている。そうではなく、あなたがやっているそれらのすべてはあなたの問題であって、そこに頑張りや苦しみや嫉妬や羨望などは余計な情報でしかない。しかもそれらはすべて絶対値としてそこに存在しているわけではなく、あなたが勝手に生み出している幻にすぎない。だから、こんなに頑張っているのに、なんて思うのはあなたが本当に頑張ってはいない証拠でもある。損か得とかとか、誰よりも一番苦労しているとか、そんな感情を誰かに認めてもらいたいと思ってしまうのは、あなたがあなたのために頑張りきれていないからそこに救いを求めているだけのことだね。
甘え
だからといって、そういう甘えを一切排除しなさいと言っているわけではない。苦しいときは心許せる親しい人に相談したり、打ち明けたりするのも良いんだ。それが度を越して、恨みつらみになったときに注意をしなければならないということに気をつけた方がいいだけだからね。あなたの世界ではいつでもあなたが一番だし、誰よりもあなたはあなたをいたわり愛するべき存唯一無二の存在でもある。だから、つらすぎたり疲れたならばあなたは誰かのせいにするのではなく、あなたがそれを許せばいいだけだね。あなたはそれをできるチカラがすでに備わっているのだからね。それを間違って使ってしまって、他人を卑下するような思考になっては、あなたがあなたであることを放棄してしまうことになって、誰も救われない状況になってしまうのだけは避けたほうが良い。結局のところ、その頑張りはあなたが一番知っているし、あなたが一番の理解者なのだからね。