自己愛とは
反応
首尾よく思っていたとおりにいったときだと判断している基準は、おそらくそのレスポンスというか反応が思っていた通りになったときだろう。わかりやすいのは、一所懸命にやってきたことをそれ以上に評価されたときとか、求めていた見返りが十分に得られたときだったりとか、そういう表面的な現象面でそれを判断していることがほとんどだね。もちろん、精神的にやりきったという充実感とかも含まれるだろうけれども、あなたが思っていたよりも喜べないときにはそこに何かしらの不十分さを感じたときだろう。これほどまでにしてあげたのにつれない態度を感じたときは、あなたが評価されてはいないと思いこんでしまう。そうやって目に見える反応で良し悪しを見ているわけだ。しかしそれは真実を見ているとはとは言えないね。
自己愛
そうなるのは、あなたの頑張りが不十分だったからと思うのか、それが限界に達したときは怒りに転じて相手のせいにするオチが待っている。あまりにあなたのせいにする癖がついてしまうと自己犠牲であなたが傷ついてしまうだろうし、かといって他人に転嫁する癖が強いと、恨みつらみの多い灰色の人生となる。どいつもこいつもあなたの思いなんてわかりっこないと思って、人間不信に陥ってますます何をやるにもうまくいかない悪循環に陥ってしまうね。でもよく考えてみれば不思議なことで、もしそうであるのならばなぜあなたはあなた以外の他人に対してそれほどまでに熱心に関わろうとするのだろう。本当にそうであるのならば、あなただけを愛してあげればいいだけなのにね。ところが、それだけではやっぱりあなたの喜びや幸せが十分に得られない。それにはからくりがあるのだけれども、それに気がついていないからだ。
世界観
そのからくりとは、あなただけを愛して、あなただけを満足させようとすると、あなた以外のすべてを受け入れる必要がどうしても出てきてしまうからだ。あなただけの一人ぼっちの世界であなたを一番にしたいとき、どうしてもそれを確かめる誰かが必要になる。簡単な話で二人以上いなければ一番は成立しないからだね。となればすぐに気がつくだろうけども、あなた以外のすべても同時にあなたと等しく愛しい存在でなければならない。どうでもいい存在では満足できないのはそういう理由からだ。もうライバルのようにそのパワーが拮抗していて、ハラハラ・ドキドキするぐらいの同じく愛に溢れた他人が絶対に必要だ。そこまでのからくりの扉を開けることができれば、あなたを幸せにすることはシンプルになる。そう、あなた以外に感謝と愛を向け、愛があふれる世界をあなた自身が構築しなければ、あなたを一番愛することすらできない。それらを踏まえてどうだろう。愛すべき世界がそこに見えたかな。