夢より志を
夢と志
夢は個人的な希望を叶えること。志はそれによって周りの人を幸せにすること。夢を持つことは良いことだとされている現代社会において、あくまでもそれは個人主義であってそれ以上はその人に依存している。志のほうが夢よりも強大な力強さを持っている。志を持つ者にとって、個人的な夢よりも社会や周りまで影響を及ぼすわけだからね。そのチカラはもはや無敵な状況にあって、信念とか志はそれによって具体的な行動を呼び起こすわけだ。ところが夢は何も行動しなくても持てる気軽さを帯びている。こうすればあなたの夢が叶いますなんていう言葉になんとなく怪しい雰囲気を感じるのもそのせいだね。夢はあなたが今なにもしなくても持てるお気軽なものなんだ。神社で願望を唱えるのも、神社に頼っているだけであって、具体的にそれに向けてのアクションプランがなくてもいいものだからね。
変化し続ける
少しの変化を毎日に取り入れることで、試行錯誤がそこに生まれる。もちろん成功体験による仮の正解があればそれ以上に何かをすることも少なくだろう。逆に言えば如何に試行錯誤を日常に取り入れることが困難であることを示唆している。いつもの安定した毎日だし、現状の幸せを求めることが大正解になってしまう。そこに冒険心を持って失敗することが悪となり、冒険は失敗の可能性を高めてしまう避けるべき行動となる。それ故に行動することが悪となり、何もしないで現状維持に努めるようになってしまう。あなたの成功体験は、思考停止を呼び起こして、結局のところ代わり映えのしない日々を送りながら、他人の成功を妬むしかない。そうではなく、失敗は挑戦の証だと誇りに思えるかどうかがあなたの人生の根幹を変えてしまうわけだ。行動することが実に難しいことに変わってしまうのは、そういう仕組みから来ているわけだね。
新たな人生
だから現状を少しでも打破したいのであれば、理屈ではなく行動しかない。どれだけ失敗できるかということは、どれだけ挑戦ができるかということと同義である。したがって、行動をしなくなれば夢を語るだけになってしまい、いつまで経っても叶うことはない。もう開き直って叶わないから夢であって、やっぱり叶わないとは知りつつも夢を持つことは生きる糧になるなんてうそぶくことになる。そうではなく、夢を追い求めるとともに、そのことであなただけが満足するようなものではなく、周りの人もついでに幸せにできる方策を思案することで、必然的に次の一手がそこに浮かび上がるわけだ。ただ叶わない夢を持つことなんていうのは、自らの可能性を狭べてしまう。そうではなく、それによってあなたも周りの人も笑顔にできる志を持つことが、あなたを行動へと駆り立てる原動力になるわけだ。新たな一歩を本当に望んでいるのならば、夢よりも志をもつことをおすすめするよ。