蝉の鳴き声

色々

蝉が鳴く

日本には、蝉の鳴き声の変化で季節を感じる文化があるね。まず鳴き声が聞こえるとそろそろ梅雨明けかと言い、夏本番がすぐそばにやってきている感じをこどもながらに感じていた。まさに夏の匂いや気配をそこから読み取る力というか、そういう感受性に優れていたのかもしれない。ま、蓋を開ければ夏休みを心待ちにしていたこどもだっただけなんだけどね。で、夏休みになれば毎日のように外で遊ぶんだけど、蝉の亡骸がそこかしこに落ちるようになったらそろそろ楽しかった夏休みも終わりっていうわけ。ツクツクホーシが鳴く頃には手つかずの宿題の山に途方に暮れていたね。それも毎年のことだから、当時からデキはそんなに良くなかったわけですね。

鳴き声を感じる

そうやって特別に虫が好きとか嫌いとか、四季や自然を愛でるというわけでもないハナタレ坊主でも、蝉の鳴き声の変化を感じていたわけなんだけど、実はそれが人類共通のことではないんだね。特に英語圏では蝉が鳴くなんて言う言葉がない。英語圏の人には蝉は鳴くのではなくて、ただただ雑音を発する虫としか認識されていないんだって。ちょっと奥さん聞きました?蝉の鳴き声の変化を感じ取って季節の移ろいをなんていう発想がそもそもないんですって!驚きですね。犬や鶏や猫はちゃんと鳴き声が英語圏でもあって聞き分けているのに。蝉はbuzzってるだけってちょっと注意力散漫すぎやしないかねと思ってしまう。まぁ、たしかに毎日毎日うるさいって言えばうるさいね。気にならないのは確かに不思議かもしれない。

どう見ているか

ふだん何気なく色んなものを見て、いろんなことを感じている。それも半自動的にそれほど強く意識することもなくね。それを常識とか当たり前とか言って、それ以外の珍回答には耳を貸さないときもあるよね。そういうことを知ることが文化の違いを知るっていうこと。同じものをみて同じことを体験しても、感じることは全く違ったりするんだよ。だからこそ何を見て何を思うかなんてのは思い込みでできているんだね。そういうことを知るだけで幸せも増えるかもよ。イメージとしては別の角度からものを見ることを心がけよう。大抵の悩みはそれで吹っ飛ぶかもしれませんね。

しかし蒸し暑い日が続くなぁ。ちなみに蝉はa cicada(シケイダ)って英語で言うらしいよ。「死刑だー」なんて聞こえるのも蝉の儚い一生をそこに感じるのは私だけかな。なんてね。それは単に英語が苦手っていうだけなんだけれど。