スルー力
徒党を組む
一人ひとりが小さなチカラしか持っていなくても、それらが連帯して集まれば大きなうねりとなり想像もつかないぐらいのチカラを持つようになる。だからそういうことを恐れるがあまりに、為政者側は適度に分断させるようにと仕向けている。なんとなくよくわからないルールがあるのもそのせいであって、それをきっちりと守るのも悪くはないけれども、その裏側の意図を知りつつやったほうがいいね。その方がそれによって行き詰まったり、あまりに辛くなったときに一時的に上手に手放すことができるからだ。何がなんでもそれらが絶対の正義だと思いこんだり、常識にとらわれすぎるがあまりにそのあたりのルールのコントロールがうまくいかないよりも、物事の本質を見つめつつもルールがある必要悪をうまくバランスすることが幸せな時間を増やすポイントでもある。
批判
人を批判したり世間を批評したりすることはみっともないことだと思いこんでいるのも、もしかしたらそのコントロールの範疇かもしれない。そう思わせるなにかがあるから、あなたはそれを躊躇する。もちろん個人的な陰口や悪口は避けたほうがいい。それは自らに鏡にように返ってくるからだ。そうではなく、大きな権力に対するものであれば、話は違ってくる。その区別はとても重要で、そもそもなにかの意図があって、わざわざ仕込まれているパワーをうまくかわすために使う批判であれば、あなたを守る盾でもあるからだ。もちろん、かといって逆襲せよとまでは言わない。あなたが剣を振るう必要もない。そんなことをしてもあなたにとって1ミリも得策にはならないようになっているからだ。ただ、あなたの気持ちのもやもやというか不整合感を表明するぐらいまでは、許される範囲で愉しめばいい。
迎合
それさえも面倒になって、もうあれこれと考えることすらやめてしまっているのが正直なところだろう。もちろんそれでもいい。ただし、それならば他の場所で幸せになれるところを探すといいね。そうなると必然的にその場所から少しだけ離れる必要が出てくるだろう。そんな議論に巻き込まれずにすむ、あなただけの心地よい空間を求めて移動しよう。それは物理的な移動だけではなく、あなたの思考の場所を変えるだけでもいい。一般的にはそれを視座といったりもする。見方を変えるだけで世界が変わるのだから、比較的そっちの方法がたやすくできるかもしれないね。苦しみも悲しみも単にその見方によってずいぶんと変わるぐらいのものでしかない。そうやってしたたかに先人たちはうまくそれらをかわしながら生きてきた。だから例外なくあなたもそれができるはずだね。