丸い石ころ
支え合う
あなたが笑えば、誰かも笑う。あなたが苦しめば誰かも苦しむ。そんな世の中にあなたは今日も生きている。すべてはあなたというよくわからない関係性の中にぽつんと生まれたものでしかない。そしてそれを自己としてあなたは認識しているけれども、それもなにかの拍子にどこかでその連関が変化すれば、必然的にあなたも変化する。あなたがどうにかできることなんて実は何一つもなくて、できることとすればそうやって認識しているんだということを受け入れることぐらいだ。あなたが変えられる部分はほぼほぼなく、関係性の変化によってあなたは常に揺らいでいるわけだからね。そうやって、今日も明日も一喜一憂してあなたがそこにあるということを確かめている。
今を生きる
だから、あなたというぼんやりと浮かんだ歪というか幻を楽しめばいいだけだ。今のあなたはいろんな要素が絡み合ってそうなっているだけで、またたく間に違うあなたに変化する。それほどまでに不安定であり、あなたがどうにかできるようなものでもなく、たまたまそうなっていたということだけがそこにある。そしてそれをあなたがあなただと思って身にまとって、試着して鏡の前で立っているようなものだ。それが今日はばっちり似合っているのか、それとももう少しここがこうなっていればいいのにと不満をいうのかも、全くあなたが決めることだね。気に入らなくても大丈夫だ。それは永遠に変わらないものなんかじゃなくて、気軽に着替えることができる。もしくは、どれほどお気入りのそれであっても、やがては消えていく運命を帯びているのだからね。
あれが良かった
そのときはそれほどお気入りではなかったとしても、あとになってあれが良かったと気づくことがよくあるね。でもそのときはもう戻ってはこない。それでも、あなたはかつてのそれを探し求める旅に出るだろう。その中で似通ったそれを見つけて有頂天になることもある。けれどもしばらくすればやっぱりかつてのあれではないことに気がついてがっかりしてしまう。だからまた次のあなたを求めて再び歩き始めるわけだ。それを自分探しの旅だなんて喧伝するメディアがあるけれども、自分というあなたが関係性の中にぼんやりとうかんだ幻なんだから、そもそも見つかるわけはない。どちらかというと、そういうものであるということを受け入れるための旅だとも言えるね。かつてのあなたを探し歩くことで、あなたの正体が少しずつベールを剥がしていくように見えてくる。剥がした先にあるのは、光る丸い玉のようなものかもしれないよ。