自分磨き

日々

自己研鑽

最近ではリスキリングとか言って、生涯学び続ける世の中にしようという動きがある。それは高齢化社会に伴って、一度きりの人生で一つだけのスキルでなんとか凌げるのような社会ではなくなったことも要因として大きい。けれども、スキルだけではなく、教養や知見といった概念をも磨いていくことも改めて注目されているね。目まぐるしく変化する現代社会において、過去の成功体験やそれによる価値規範だけでは、どんどん時代遅れに陥ってしまう。それによって、人生の後半になればことごとくオールドタイプだと揶揄されてしまい、生きづらさが消えない人生となる。自らが学び続け、魂を磨き続けることは何も今に始まったことではなく、古来からその必要性は重要であるとされてきたわけで、それをやめてしまえば、周りの誰かに助けてもらうだけの口を開けて待っているだけになってしまう。そうして、これまでの苦労が報われて、もうそろそろあなたも幸せになれるかなと待ち望んで何もしない時間が過ぎていくわけだね。

類友

そうやって、もう今さらと自ら学ぶことを諦めたり、知見を広げたりしないとどうなるか。簡単に言えば、同じような考えの仲間があなたの周りに集まってくるわけだ。そうしてお互いの傷を舐め合いながら、この世の批判だけで幸せを待っている状態になる。もう薄々気づいているだろうけれども、それでは人生は好転するわけがない。でも、あなた一人では不安に駆り立てられてしまうけれども、徒党を組むことでなぜか安心しているわけだ。そうなるともはやあなたができることは少なくなって、できることといえば今の世の中に不平不満をぶつけるぐらいしかなくなってしまう。しかも、同じような仲間もたくさん集まるが故に、この世の真理は我々にあり、なんて思い上がってしまうと、古びた価値観こそが正しいなどと信じて疑わなくなってしまう。これではますます現代社会の変化に乗り遅れていくのは必至となるわけだ。

信じて疑う

あなたがそこから脱却して、自らを磨き続けてアップデートしていくと、不思議なことに、あなたと同じく自らを磨き続ける新たな人たちに囲まれる状況に変わる。さらには、これまでの仲間がどんどん遠ざかって、新たな出会いが生まれるわけだ。そういった人たちをSNSでは意識高い系などと揶揄する言葉もあるけれども、当の本人たちはそんな他人の批判すら気にならなくなる。それはあなたがあなたと向かい合って集中しているからだ。ましてや人の批判や悪口を言っている暇もなくなるだろう。そうなることで、皮肉なことにあなたはこれまで望んでいた穏やかで幸せな余生を手にすることになるだろう。磨き続けることをやめてしまうと恨みつらみばかりに支配され、磨き続けると望んでいた豊かな時間がそこに生まれる。さて、あなたはどちらの人生を望んでいるのだろう。まずはそこから向き合ってみるといいね。