精一杯に生きる

日々

最期

あなたの人生のゴールはどこにあるのだろう。やっぱり最期を迎えるときと考えるのか、それまでに達成しておかなければならないなにかであったりとかなのだろう。あるいは、今すぐに幸せになることであったり、今は我慢のときでその先の未来は明るく輝いているものだと思っているかもしれない。いずれにせよ、あなたは気がついたらこの世に生まれていて、そのときの記憶はないだろうし、その類推でいくとこの世を去るという意識もなく消えてしまっていることになるのだろうとぼんやり考えている。もちろん、誰にもわからないこの先の行く末をどれだけ今のあなたが思案したところで、答えが出ることはない。となれば、そんなことよりも今が楽しいかどうかだけにフォーカスして生きていればいいことになる。それは刹那的でもあり無計画だとされて、あまり歓迎されない雰囲気をまとっているね。

努力と夢中

今の子どもたちもそうだね。親や先生は今頑張れば将来幸せな生活が手に入るとして、一番遊びたいと思っているときに受験勉強を強いる。その理屈に一旦納得した子どもたちは素直にその夢を信じて頑張っている。ちょっと天邪鬼な子どもたちは、そんなの信用できっこないと一笑に付し、自分の好きなことをなんとかやろうとしてもがいている。そのときの一瞬に魂を燃やして、全力で楽しんでいる子どもたちは、そういう意味では幸せだとも言える。ありとキリギリスの話ではないけれども、遊んで暮らすことがこれほどまでに愚かであり、浅はかな人生戦略として捉えられている時代はここ最近のことだ。でもそれをやりたいがために、辛い時間が避けようもない設定にしているのも、ちょっと俯瞰してみれば違和感しかないね。明日この世から消えてしまうかもしれないというのに、今を生きられないなんて理解し難いことだからね。

今何ができるのか

そんなこんなで、人生を総括する時期になる。さて、あなたの人生は楽しかったかな。やり残したことはないかな。その選択はほぼほぼあなたの人生を豊かにしてくれたかな。そうやって思いを馳せるとき、あなたはその瞬間に最期を迎えているのと同じことだね。だから本当の最期のときはおそらくそんな暇もないのだから、なんでもない今にそう振り返ってみればいいわけだ。一瞬一瞬に全力で生き抜くことは、今それができるかどうかの積み重ねでしかない。この瞬間にあなたがなにかもやもやとして我慢をしているのならば、すぐさまその正体を精査した方がいい。そしてそれが何日も続いているのならば、それを変えるように行動すべきだね。それをどこかで諦めてしまうと、それが悔いとなってますますあなたを苦しめてしまう。壮大な計画を立てるよりも、今すぐあなたにできることをやる方がいいのはそういう理由からだね。