小さい春

日々

知っているつもり

あなたはこれまでの経験から、大体のことに対してわかっているつもりでいる。人生を重ねていくうちに、ああ、それはかつて見たことがある風景だとすぐに感づいて、それ以上の何かをそこから見ることをやめてしまう。それは幼き頃に見ていたそれとは違って、それこそ花を見てこれは赤色の花だとデフォルメすることもなく、その赤の中にいろんな色が含まれていることまでも具に見ていた。ところが、だんだんそれが何であるかを知ってしまうが故に、もうあなたにとっては取るに足りない多くの中の一つとして省略してしまう傾向にある。まぁ、そうやって省力化することで体系的に理解するのに役立つ側面があるものの、あなたが知っているその赤い花を改めてよく見てみると、実は同じ種類だと思いこんでいるだけで、全く持って同じではないことに気がつくだろう。そう、あなたは知識を得た代償として、物事をよく見ない癖がついてしまったわけだ。

日常

だから、ほんの少しの違いに気が付かず、だいたいはこういうものだと一括りにして、ほんの小さな変化に気が付かないようになる。おおよそは知っているそれであり、ああ、またかと思う毎日を過ごすことになって、刺激的な毎日だったはずが、だんだんつまらなく変化が少ない日々として勘違いしてしまうわけだ。その証拠に、あなたは毎朝取っている近所の道すら、ほんの少し前にそこに何があったかを思い出せないだろう。同じ道をいつも通っているというのに、それほどまでに何も見ないで過ごしている。もはや目をつぶっていてもたどり着くことができるぐらいに慣れてしまっているからだね。そうなると脳は思考停止していて省エネルギーモードになっている。仮にそこに目新しさがあったとしても、あなたがそれほどそれに対して関心を持たないままだと一時記憶からすぐに消去されているわけだ。

思い込み

そうやって、日々変化しているにもかかわらず、あなたは何もそれを見てはいないし、それによって季節の変わり目すらずいぶんあとになって気がつく始末だね。そんな状態で、ほんの少しの変化だとか、何かの兆しだとかに気がつくわけはない。それらはあなたにとっては取るに足りない微小なことであり、あなたが求める刺激はどんどん大きなものとなる。そうやってあなたは自らの足元をロクに見ないまま、様々な決断を下しているわけだ。もちろん間違い探しを毎日するには骨が折れるね。だから省エネモードで過ごす時間が増えてしまうわけだけれども、それでもたまには小さな兆しを見つけることができるセンサーを働かせないと、錆びついて動かなくなってしまう。そうなるともはやあなたの心を動かすなにかは、大変革でないと納得がいかなくなってしまう。そうなってしまうから、経験や知識には注意した方がいいね。できれば小さな変化に心踊るセンサーを磨き続けることで、新たな発見と喜びの多い人生の方が楽しいに違いないのだからね。