すでに全部そこにある

日々

プラスマイナス

今日はいいことがたくさんあったとしよう。でも、人生トータルで見れば辛かったことも、少なからず同じぐらいあっただろう。でも楽しい今はそれを忘れることができるね。そのうち風向きが変わって、やることなすことがうまくいかないようになったとき、なんて人生は辛いものなのだと愚痴をいうことになるだろう。それでも、その少し前まではなんとも思っていなかった。良いも悪いも極端なときだけで、多くの時間は事実、なんともなかったわけだ。となれば、良いことがあった日もそうでなかった日も相対的に見れば、ほんの僅かな瞬間だけだということだ。そんなほんの僅かなことにあなたはほとんどすべての時間を翻弄され続けているということになる。

冷たさと温もり

人に助けられ多いに感謝にあふれる瞬間があると思えば、人の関係に悩み、どうしてそこまで冷たい仕打ちができるのかと嘆く日もある。それらは先の極端な瞬間であって、人生のほんの数パーセントしかない。それにもかかわらずその瞬間に消耗する度合いは桁外れに大きい。確かに人間関係で苦しみ悩んでいるときは、人間なんてと恨みつらみが大きくなってしまう。けれども、そんな傷心のあなたを救ってくれるのも、また素晴らしく温かい人であることは間違いないね。極端な状況においてでも、その瞬間に感じているそれらは人生のごく僅かな部分で、一時が万事だと思いこんでしまうのは不思議なことだ。大半の日々はなんてことのない日々を過ごしているというのにね。

すでにある

しかもそれと同じ境遇にあったとしても、よく観察してみれば受け止め方が千差万別で人によって全く違っていることに気がつく。その逆境と思われる状況を楽しんでいる人に出会うと、あなたはハッとするわけだ。そしてそのチカラをあなたも身につけようと興味を持つようになる。そのからくりはわかってしまえばなんてこともないことだ。要するに良いことや悪いことなんていうのはそもそも眼の前に実在するようなものではなく、常にあなたの心の風景そのものでしかないからだね。あなたが不幸だと思ったらそうだし、あなたが幸せだと思ったらそうなる。しかもそれに気がつけば、あなたがそれらをコントロールすることが可能だということも知ることになる。なんだ、すべての楽しみも喜びも、あなたがそうしているのだと深く腑に落ちたとき、そもそもあなたはすべてを楽しむことができるチカラがすでに備わっていることに気づくわけだね。