人生の彩り
色々
あなたの世界をまさに彩る色は何色だろうかね。同じ赤でもあなたが見ている赤と誰かがみているそれとは同じだと証明することが難しいね。もちろん絵を描いたり、写真を撮ったりしてその色を共有することはできる。けれども、それがどんな色に見えているかまでは確かめようがない。現代の科学ではそれを数値化して表すことができるけれども、それをしたとしてもそれが最終的にあなたの目にはそう見えるとしか言えなくて、それは微妙に青みががっていたり、あるいは白っぽかったりしたところで、何もそれが証拠とならないわけだ。同じものを見て同じ色を感じていると一旦思うことで、その気になっているだけのことなんだ。
多彩
要するに波長がどれぐらいかとか、RGBによる制御と数値化はできるものの、それを受けてあなたが見ているその色は他の誰かと微妙に異なっている。異なっているからこそ多彩で多様でそれこそ無限の世界が浮かび上がるわけで、そのままだと社会生活に支障がでる場合においては、言葉で修正しているに過ぎない。法律とかルールといった明文化したそれらで規定することによって、微妙に異なる世界をある程度コントロールすることで多くの人が住みよい社会を構築しているのが人間だね。そうしてしまうと色がどんなふうにそれぞれの人に見えているかどうかは、それほど関係なくなる。それよりもその違いがわかるだけで良くなり、それになれるとその微妙な違いは大きな問題とはならないわけだ。
単色
幼い頃は同じリンゴを見て描いた絵には、赤だけではなく茶色や緑や青のクレヨンを駆使していた。蝶なんてよく見ると、実は複雑にいろんな色がそこに見えたね。ところが大人になるとその色の差異よりも全体的なカタチや特徴によって十分伝わること知り、それこそ色をそこに塗らなくても蝶を記号化して描くことができるようになった。草木や花も現実社会ではありえないもので代用しているわけだ。あなたがそこで失っているのは、その微妙な差異を具に観察するという時間だ。それと引き換えに大幅に観察することを省力化でき、おおまかな特徴を瞬時に捉えることができる能力を手に入れたわけだ。それが一般的には大人になるということを指す。すなわち、輪郭や一番の特徴を記号化する能力がどんどん磨かれていく代わりに、ディテールをしっかりと見るということをやめてしまうことだね。それを現代はまさに呼び起こそうとしている。そのディテールこそが人生の豊かさの本質であると気づきはじめたからだ。