敗れた夢
夢
夢破れて山河あり、なんていう漢詩があるね。あなたは今まさにそういった気持ちになっている。これまで必死に走ってきたがゆえに、その結果に直面したとき、何もなし得てないことに愕然としているわけだ。その結果の是非をここでどうこう言うつもりはない。けれども、あなたはこれまでそれこそ無我夢中でそれに向かって取り組んできたという事実は揺るがないね。だから結果なんかよりもその経緯のほうが大事なんだ。それ故に何も自らを責めることもなく、おそらくはやりきった感が強くて後悔も少ないだろう。それに取り掛かるときは、いやいやだったかもしれないし、それほど乗る気でもなかったかもしれない。でもあなたがそのきっかけはどうであれ、夢中でやってきたというそのプロセスがそこにあるわけで、結果なんていうのは中間報告ぐらいの意味合いでしかない。まさにそのプロセスがあなたそのものを司っているわけだ。
目的と手段
あなたが夢中になっていたとき、後付の目的があったとしても後でそうやって振り返るまでは特に何もなかったはずだ。なんてことのない日常を過ごしつつも、あなたが強く惹かれた興味関心事項を、それこそ徹底的に追求した時間がそこに流れ続けている。それは決して無駄なんかでもなく、むしろそれによる結果が知恵となり知見となって、まさに知識という平べったいものを血肉にかえてきた。究極の終わりというか目的は、後悔なく死ぬことに集約されてしまう。それはあなたがこの世から去ってしまう泡沫な存在だからね。だから結果なんてどうでもよくて、あなたが結果にこだわる完璧主義をやめないと、永遠にあなたが浮かばれることはなくなってしまう。人生は結果ではなくプロセスだということをそこから類推できるわけだ。
理性と感性
直感というか感性が磨かれた人は、それ以降の人生はそれが主体となるだろう。一方で痛いほどほっぺをつねってみて、感覚や直感ではもちろん痛い状態なんだけれども、たとえそうであったとしても、取るに足らない痛みでしかないと考えるか。そのいずれかもどちらが優れているかという議論は不毛だね。人生色々だし、感じることも直感でいい。一番無駄なことは、理性ばかりに支配されて、痛いほどつねったほっぺを無視してしまわないことだね。痛みがあるのに痛みがないと思考することで、何かの問題を解決することができると思っているかもしれないけれども、人生の本質はじつは逆で、ほとんどの場合は直感で決めて良い。いや、むしろその方があなたの幸福度は最大限になる。決して思考によって抑制されたそれとは違うことは明白だね。さて、あたたが夢に敗れて次の一歩はどこへ向かうだろうね。