ほどほどに生きる

日々

特殊能力

あなたには特殊能力が備わっている。それは、異質なものを同じものとして捉えることができるチカラだ。具体的には、基本あなたとあなた以外の人たちは異質であり、理解不能なものでしかない。けれども、あなたはその中のわずかな共通項を探して、分類、仲間分けをすることができるね。でも、一方であなたと全く同じな存在はどこにも存在しないことも知っている。それなのに、似た者同士だとかでおおまかに理解することができる。まさにこれは特殊能力であり、おそらくあなたしかできないものの見方であることは間違いない。とにかく、ほとんどが異なっていても、あなたが同じだと信じることでいろんなことを安定させることができる。赤い車はかっこいいと見ることができる。けれども暗闇の中のそれは漆黒の車として見えている。見ただけでは黒い車なんだけれども、あなたはそれが日が当たる明るいところで燦然と輝く赤い車だと認識することができるわけだ。

信念

あなたはそういった心のフィルターを駆使することで、外見では全く違うそれらの本質を見抜くことができる。おそらく他の動物たちはそれが困難だろう。まさにそれは集団幻想であり、その幻想を共有することで社会生活が成り立っている。何に価値があるのかを共有することができるし、何が正しいかも、夢と理想も大まかに合わせることができるから、本当は全く異なる多くの人々が一定の秩序を保ちながら共同生活することができるわけだ。その中でどうしてもそれらに合わせられないところを個性と認められるし、その違いがあなたの安寧を脅かすときは恐怖を感じることができる。だからルールを受け入れられる余白ができるわけで、そのルールを逸脱する場合の対処も生み出すことができるわけだ。そうやってあなたの信念や枠組みから少しだけはみ出す個性を認め合う社会を構築できたわけだ。

幸せの総量

かつての思想家は、個人的、主観的な幸せを総量として計算することができると主張した。多くの人が安寧で暮らせる状態を目指すこと、すなわち個々の幸せの総量を最大化することが社会全体の幸せにつながると説いた。それは今も罪と罰に適用されて運営されているね。罪の重さと懲役の長さが比例しているかのようなルールが現代社会でも使われているのがそれだ。それも実はデティールを見れば、全く異なるものをおおまかに同じだと見ることができるという前提がないと、人それぞれで価値観が概ね同じだとみなすことができない。実際にあなたがそこに合わせられるかどうかということは捨象されているわけだけれども、あなたはそれさえもある程度の納得性をもって受け入れている。それらを鑑みると浮かび上がってくる真実がある。それは、逆に言えば同じものが一つもなく違うということは自然そのものであることだ。でも社会を構築して生活するにはカタチが違うあなたであっても無理やり合わせなければ、その社会での安寧を享受することができない。そのズレがあなたを悩ませているストレスの原因となっているわけだ。その対処方法としては、ほどほどに生きることが大切となるわけだね。