パラパラ漫画

日々

パラパラ漫画

日常は瞬間の連続のようだね。今見ているシーンが刻々と変化し続けている。それを時間という概念によって、どんどん時が進んでいっているかのように見ている。気がつけばもうこんな時間だと感じることが、歳を重ねていくことによって多くなるのは、同じパラパラ漫画をめくり続けているのだけれども、もはや一つひとつのシーンをよく見ていないからだ。早いものでもう3月とかとつぶやいてしまうのも、年が明けてから同じようにおよそ60日間を過ごしたわけだけれども、その日々をよく思い出せないからそうなる。一方で、そのシーンを具に見るぐらい夢中になっていると、まるでその時はスローモーションのように感じるだろう。早いものでというセリフを日常的に多用するということは、それだけしっかりと日々を過ごしていないということと同義とも言えるね。

省エネ化

ほとんどの人の幼少期の思い出は、そのようにスローモーションのように詳細なワンシーンがたくさんある。その頃はおそらく一日という単位で見ても、その瞬間をしっかりと見つめていたとも言える。ところが、思い出せなくなるのはほんの数ヶ月前や数週間前のことばかりだ。毎日をしっかりと生きているつもりでずっと過ごしてきたあなたも、いつの間にか見ることを省力化しているわけだ。現代の科学でも脳はたくさんのエネルギーを消費するため、どんどんその機能を省く癖があるとされている。それが原因かどうかははっきりとはわからないまでも、あなたは現実というあなたの世界をこれまでなんとか日々の手がかりで構築したが故に、出来上がりつつある段階では、全く同じ日なんてないというのに、いつの間にか似たようなものとして同一視することでオミットしてしまっているわけだ。

きらめく日々

その仕組みが本当であれば、あなたがまたスローモーションに感じられる日々を取り戻す手段は一つだね。いつかの幼き頃のように、毎日新たな発見の日々を取り戻せばいいだけだ。見るもの聞くものに全集中をして見つめることができれば、時間が増えるような不思議な感覚になる。それでも夢中になってやっているとあっという間に時は過ぎていくだろう。けれどもその中身は今のあなたとは全く違ったものになっている。時間とはあなたそのものであり、どこかにあるように振る舞っているけれども、実はどこにもない幻想であることがそれでわかるだろう。パラパラ漫画を見る時、あなたのその指先一つで早くも遅くもできるように、あなたがそれをコントロールしている。もっと言えば、かつてのあなたはそれを教科書の隅に作ったこともあっただろう。その時は一つ一つのシーンを描く手間が膨大であったことも知っている。さて、今あなたはパラパラ漫画をざっと眺めているような生き方なのか、それとも1ページずつそのシーンを描き込んでいるような生き方なのか、どちらだろうね。