人生ラララ

日々

歌い続ける

人生色々あるけれども、できれば歌い続けるように生きられるとちょうどいい。そんな不真面目だと、いつか足元すくわれるぞ、と脅してくる人もいるかもしれない。けれども、そんなことは気にしなくて大丈夫だ。なぜならそれらは、本当にあなたのことを心配して出てきた言葉ではなく、そんなあなたに嫉妬して出てきた言葉に過ぎないからだ。その瞬間にあなたに何を語りかけるかというのは、それぞれの特徴でもあるんだけれども、いわゆるドリームキラーと呼ばれる周囲の身近な人たちは、心配しているような感じで嫉妬しているだけだ。だって心からあなたの身を案じているのならば、もっと力を抜いて楽しく生きよう、ということに反対しなければならない理由などそこにはないはずだね。でも思わず真面目に生きなさいという言葉が出てくるのは、人生を楽しそうに生きることが良くないことだと思っているからだ。

楽しい人生

楽しいことはいいことだ。それは思考でわかっていると思っている。それらがチグハグな議論と結論を招くわけだ。そもそも楽しいことに良いも悪いもない。おそらく楽しいということは、娯楽や享楽にふけっている様子だと少しバカにした何かがそこにある。そんな人生は刹那的、即物的なものでしかないとして、もっと深みと永遠の幸せを求めるべきだという視点がそこに含まれている。そもそも楽しいという感覚は、主観的なもので極めて個人的なものでしかない。それを一般化すること自体に無理があるね。楽しく休日を過ごすにはアミューズメントパークにいかなければならないとか、少なくとも海外旅行に出かけなければならないとか、高級車で非日常を過ごさなければならないなんていう決まりはない。でもなぜかあなたはそんなバカげたことを信じている。楽しいかどうかはあなた自身の心の向きの問題であり、押し付けられたもので充足できるものではないというのに。

すり替え

そうやって本来の楽しむことすら、いつの間にか奪われてすり替えられてしまっているのが現状だ。楽をしてはいけないという風潮は、よっぽど誰かに都合がいいことのようでいまだに蔓延っている。人は怠惰でバカなんだから、日々つらい思いをするぐらい研鑽して努力してほんの少しでもいいからレベルアップしなさいと押し付けられ続けている。そんな中で、歌うように生きたいなんていうものだから、一斉攻撃を受けてしまうわけだね。でもそれらには、見せかけての正義や愛しかないのは、実は歌うように生きることの方が本来の姿に近いからだ。いろんなことに真摯に対峙しつつも、深刻になって嘘や大げさな問題として捉えないということが、楽しいことの本質だからね。そんな人生の機微を歌にして歌うことは先人の知恵であり、悟りでもあるとも言えるのではないかな。