壊れかけの冷蔵庫

日々

この暑い最中

いつもはその存在すら忘れていたけれど、冷蔵庫が絶不調だ。思い起こすと手に入れてから20年近く、ずっと昼夜を問わず食べ物を冷やし続けてくれていた。どうも失うときにだけそのありがたさを再確認するみたいだね。普段はもっと省エネのやつがいいかとか、容量ももう少しあればスイカまるごと入れられるのにとか、足りないことばかり考えていた。けれど、今まさに寿命を迎えて、壊れようとしている。今更そんなことはどうでもよかったというか些細なことだったなと気づくよね。便利な世の中から壊れてなくなろうとしている冷蔵庫が、とても役にたっていたという事実を教えてくれている。足りない足りないと、他のもっといいモノを探すのに夢中になっていた自分に気づかせてくれるなんて、皮肉なことだね。ありがとうという言葉の意味を改めて噛み締めていたりしている。

すべてはありがとうでできている

今回はたまたま冷蔵庫の偉大さを身に染みて感じたわけだけど、改めて自分の身の回りで文句も言わず助けてくれているモノたちについて考えている。よく考えると四六時中食べ物を冷やすことができる冷蔵庫は、暮らしを大きく変えた発明品だね。必要以上の食べ物を蓄えたりできるようになるってことは、すごいことだ。いいも悪いも悪魔の発明かもしれないね。冷蔵庫なんてITからするとずいぶんレガシーな家電だけど。そういう視点で部屋の中をぐるっと見渡すと、ずいぶん付き合いが長くて、少々くたびれてはいるものの、今までずっと助けられてきているモノに溢れているね。たまに調子が悪いとこのポンコツがーとか悪態をついたりしている。だましだまし使い続けているモノもある。みんなそれが当たり前になっていて、その存在すら忘れてしまっているモノが結構多いことに驚くね。自分の力だけでこれまで誰にも助けを乞うこともなく生きてきたつもりだなんて、なんておこがましい考えなの。さよならするときだけ、失ったときだけ、ありがとうを感じるなんて。そんな足りないお化けに囲まれたつまらない人生にしているのは誰か。そう、それは自分だったということにようやく気づくわけですな。なんてちょっとおおげさかな。

今の中にすべてがある

初めて独り立ちして、慣れない土地で暮らし始めたときに冷蔵庫はなかった。しばらくした後ようやくその冷蔵庫を手に入れた。せまい我が家にやってきた冷蔵庫。冷やしてますよーというブーンという音に囲まれていろんなことがあった。いろんなものを冷やしてくれていた。まぁ、それが目的で手に入れたんだけど、壊れつつある今、そういう物語を思い出す。過去の思い出や物語は、今生まれていている。それも、そろそろさようならの瞬間に生まれている。なんだかちょっと不思議な感じだね。できれば、いつもいろんなことにありがとうを感じて暮らせたら、もっと幸せになれそうな気がしたよ。ありがとうの物語はいつもすぐそばにたくさんあるからね。