メメント・モリ

日々

生きること

生きることは死を恐れないことだ。もっと言えば、死を常に友達として引き連れている状態であるとも言えるね。死があるから生がある。でも生きることばかりにフォーカスしてしまって、死を忌み嫌っている状態では生きることを精一杯楽しむことができない。それはマラソンでゴールが永遠にこない状態で走り続けることと同じだね。そうなればどこでどれだけのチカラで走ればいいのかわからなくなるし、ペース配分をどうすればいいのかも全く予想だにできない。でもあなたは、死を極端に恐れている。いや、もっと正確に表現すれば生きている間死を意識することを避けているとも言える。だから死は嫌われ者のままとなり、その両輪である生きることもついついおろそかになってしまうわけだね。

メメント・モリ

今日はうまくいったとしても明日はどうなるかわからないね。それを常に意識することで、その瞬間を精一杯悔いなく生きよというのがメメント・モリとされている。どちらかというと死があることと真摯に対峙することで前向きに全力でこの瞬間を生き抜くという意味合いで使われているラテン語だ。その後キリスト教が世界に広がることで、過去にこだわらず今を生きよ、という意味合いが強くなっていったわけだ。いずれにせよ、生きるということはこの瞬間の死の連続であり、あなたがあなただと思っている古臭いものを引きずっている暇はない。まさに今、魂を焦がすぐらいに力強く生き抜くには、過去のあなたにこだわっていては永遠に達成できない。だから死はやっぱり親友であり、それを意識することであなたが切望している幸せを手にすることができる唯一の方法だね。

サバイバル

だからといって、死を望むとかいつ死んでもかまないという意味では決してない。むしろその逆で、だからこそ人生をより楽しむためにできるだけこの世にとどまって今を楽しむわけだ。その力強さでもって、自他の関係に苦しんだり、やりたいことをすぐに諦めたり、損か得かで悩むことも少なくなるわけだ。一般的にこれらをポジティブな人生観と呼ぶね。そうだからこそ多少の失敗を楽しむことができるし、やりたいことを簡単に投げ出したりすることはほとんどなくなっていく。むしろひつこいぐらいに粘り強くそれらに挑戦するだろう。生きることにこだわるためには、前向きな終わりを意識することでしかできない。あなたの世界を存分に、まさに骨の髄までしゃぶり尽くして楽しむ意気込みとその方法を先人たちは教えてくれているわけだね。