変幻自在の名役者
いつも誰かを演じてる
たとえばお店に行くと私はお客を演じる。レジの向こうには店員さん。いつもの光景がそこに広がっている。店員さんはお店の中ではそうだけど、お店を一歩出ると家路に向かう通行人になるだろう。電車にのると私は乗客。電車を運転しているのは運転士。駅の案内をしている人は車掌さん。どれもずっとそうではなくて、勤務時間が終われば、次の誰かを演じているんだろうね。バイクに乗って出かけると私はライダーになる。会社にいるとサラリーマン。学校に行けば学生さん。そんな状況から一歩出るとまた違う誰かを演じているね。周りから見れば、単なるおっさんにでもなっているのかな。おっさんといえども社会的な背景や年齢や趣向や性格など、なんらかの設定がいるよね。とにかく、見渡せばすべての人が何気ない生活の中で、それぞれの役割を演じ続けている。まるで壮大なドラマの役者さんのように、表情や声色を変えて暮らしている。
素の自分
お店や学校や会社とかのシチュエーションがなくて、何者でもないとき、役者でいったらなんの配役もセリフもなくなったとき、果たして自分は何の役を演じているのかな。本当の自分がぼんやりそこにいると思っているけれど、果てしてどうだろう。何かと関わったときはわかりやすいけれど、誰にも何にも関わらないときの一人ぼっちの自分は、それでもやっぱり一人ぼっちの自分を演じているような気がするんだけど。生まれてこの方、何にも演じる必要がないときって、どこにもないのかもしれないね。帰宅してほっとして鼻ほじっているときを、素の自分だとしているけれど、それもそういう素の自分ってやつを演じているね。ころころ演じ続けている姿を全部ひっくるめて自分だとしたら、変幻自在のかなりの名役者だね。
演じることが生きること
よくできたドラマを日々生きている。でもよっぽど疲れるならその舞台と台本を変えてもいいと思うよ。それでも十分名演技だからね。数えきれない役割を演じて生きていることは、かけがえのない才能だと思うの。でもたまにどうしていいかわからない役もある。そういうときはどうしていいかわからない顔をすればいいだけだね。で、できれば笑顔溢れる役を自分で選んで演じ続けたいよね。悲しみにくれる役もたまにはいいけれど、いつもだと辛くなる。だから最後は笑ってハッピーエンドに書き換えて、最高の演技をしよう。うん、そうしよう。監督ここちょっとカットでお願いします。