私しか見えない景色

日々

ここから見える景色

大きなコンサートホールなんかに行くとよく感じるんだけれど、あまりに会場が大き過ぎてステージが豆粒みたいにしか見えない場所が指定席だったりするよね。そういうときはちょっとがっかりしたりするんだけれど、結局はよく見えないなりに楽しんで帰ってたりする。結局お目当ての細かい部分は遠過ぎてわからないんだけれど、それ以外の、会場一体となったようなすべての体験がよかったからなんだね。もちろん映像化されたビデオを見た方が、演出や表情なんかはより詳しくわかる。わざわざいったコンサートやライブのビデオもあとで見たりして、ああ、そうなっていたのかここは、と後でも答え合わせのように二度楽しめたりするね。

見えないけど見ている

オペラグラスとかで見たり、カメラのズームレンズごしに確認することはできるけれど、結局は見たいものはそれじゃないんだなということに気づく。目で見えなくても空気で感じて、それが心で像を結んで見えるようになるんだね。だから、遠くてぼんやりとして、はっきり見えなくて、ああ、こんなところの席かぁと、すごく残念だったんだけど、いつしか目以外の感覚ですべてを感じることができるようになると、すっかり忘れて楽しめてしまうというわけ。チケットを取るときは、もちろんできるだけ「良い席」って思うんだけど、本質はそこではないんだよね。だから、どうせ「良い席」が取れないのに見に行くとか信じられないよ、と他人に言われたりする。彼が言う「良い席」からの景色は確かに私には見えない。でも逆にここからの景色も、彼には見えないよね。

何を見ているのか

なるほど、私が見ている景色は、今ここにいる場所から私にしか見えない、私だけの景色。彼の景色は彼の場所からしか見えない唯一無二な景色。なんだか同時に見ている景色は、私も彼も同じようなものと思い込んでいるけれど、実はそんな景色はこの世に存在しないんだよ。でもそれさえも見えていないから、他人を妬んだり羨んだりして、ありもしない場所からの景色を夢見て、大切なここからしか見えない、世界に一つだけの景色をちゃんと見ていないね。自分しか見えない景色なのに。

私しか出来ない体験を日々送っているのに、何故か違う体験を生きている人を羨ましく思って見ていることが多いよね。憧れの人になりたいともがいているけれど、残念ながらその人と同じ体験は出来ないのよ。
自分のこの位置からしか見られない、それこそ他の誰にも出来ない毎日なのに、何でいつも上の空でいるんだろうね。
大事なことをどこかに忘れてきたような、もったいない気がする。もっと自分のために広がる目の前の景色を存分に堪能しよう。そうしよう。