生滅する心地よさ
心地よい風
さっとあなたの体を撫でるように流れていく春風が心地よい季節になりつつあるね。あなたにとっての心地よさは、物事がスムーズに流れている様子だとも言い換えることができる。それが強すぎても弱すぎても心地よさは感じない。ちょうどいい強さでちょうどいい速さで流れていく様子を心地よいと感じているわけだ。さて、あなたはそれを求めるがあまりに、心地よさそのものを求めてしまう癖がある。でもそれが起こることを待ち続けても、なかなかそうはうまくいかないね。だから自らそれを引き起こす行動を取ることが多くなる。きがつけば、ストレス解消とか心地よい時間を過ごすとかという言葉に惑わされて、とても高価なブランド物を身にまとったり、ごちそうばかりを食べ続けたり、嗜好品に溺れたりしている。それらはすべて心地よさを求めた結果ではあるけれども、それを得るためのコストが高すぎるが故に、いつも十分には得られないというジレンマがそこに生まれるわけだ。
足りない毎日
そうやって、もっともっとと思い続けることによって、いつも不満足な状態が続く。それを我慢しなければならないとどこかで思い込んでいるから、それを解消するために爆発してしまうわけだ。そして一時の心地よさを感じるわけだけれども、もちろんそれは一瞬にして終わる。その落差が大き過ぎるがために、やっぱり満足することはできないわけだ。そこでさらにもっと楽しもうとしてしまう悪循環に陥り、それ以外をそのための我慢大会の時間として感じる癖がついていくわけだ。人生はそれほど甘くないどころか、辛い時間がほとんどだとあなた自身に信じ込ませているのもそのせいだね。でも、それはそういった悪癖によってもたらされているだけのことだと気づけば、そんな心地よさだけを絶対視することはなくなるはずだね。心地よさの本質は、我慢の上に成り立つものではないことも薄々知っているね。
泡沫の夢
もちろん、人生は壮大なる暇つぶしとも言われることが多い。それはいずれは無に帰するからだとされている。けれども、どうせ終わるのならば、今この瞬間を我慢し続け苦しみこともそれほど必要ではないことがわかるだろう。一瞬の刺激を求める癖がついているだけで、それを求めすぎるからアンバランスに陥っているだけのことだからね。心地よく風が吹き抜けるように、いろんなものが一瞬で過ぎ去っていくことそのものが心地よいわけだ。だから、それに固執してもっともっとと求める必要はない。すべてが始まり、やがて終わることが心地よさなんだからね。そこで心地よさをさらに感じ続けていきたいのならば、あらゆる物事をどんどんあなたの前から流れて消えていくことを感じることが大切なんだからね。あなたのこの世は、あなたのバイアスが生み出している幻なんだ。すべては儚く流れ続けているからこそ、素晴らしい心地よさがいつもあるのだからね。