意味と価値は後付け
理解
物事の本質を理解してやることと、そうでないことは本質的にそれ自体を楽しめるかどうかの違いが生まれてしまう。その本来の目的と効果について知っているのと、そうでないとのとでは雲泥の差がそこに生まれるからだ。なんのためにそれをやっているのかを改めて考えてみると、そこにそれ自体の本質が何であるかを見極めることができる。けれどもなんとなくそう言われたからやっていることは、本質がわからないが故に、習慣として惰性でやっていることになってしまう。だからできればそれをやる意味というか、その効果のほどを知っていた方が継続するにしても、やめるにしても判断と区別がつきやすいという点では優れているとも言える。けれども、それを知らないから良くないという意味ではなく、よりその意義を感じられつつやるかどうかという、日々の姿勢という意味では深い理解がそこに得られるわけだ。
習慣
そんなことは関係なく、もはや習慣としてそれをやっていることが多い。どうしてかと改めて言われても、実はよくわかってはいない。けれどもそれをやることで快適に過ごせているのならばそれは続けていてもいいね。顔を洗ったり歯を磨いたり、早朝に散歩するだけで気分が良いのならそれはそれで正解だとも言える。ただよりその意義を深く知る機会があれば、もっとそれを効果的に、かつ有意義にすることができる。その仕組みや意味合いはどうであっても、あなたがそれが心地よく感じられるのならばそれだけも十分とも言える。それらの習慣化した一連の行動のより深い意味合いを知ることで、さらにパワーアップすることも可能になる。だから、日々探求するというのは、日々の人生をより深堀りすることができるきっかけとしては、知らないよりも知っている方がその近道だとも言えるわけだね。
価値
それらの価値はどうであれ、それをやっているだけで良いのは間違いない。だからいちいち意味があるとかないとか考える必要も実はない。あなたがそれを心地よく思っているうちにおいてはそれが一つの正解だとも言える。ただ、さらに次のステージに進もうとするときは、現状をまずは分析するのも悪くはない。もちろんそれが必須だと言っているわけではない。けれども、その行動の意味合いを理解して、さらにその効果を上昇させることができるのならば、知らないよりも知っている方がいいね。もしそんな機会があるのならば、積極的に知ろうとするのは悪くない。だからといって価値があるとか、意味があるとかにとらわれすぎると、かえって日々の楽しさを失うことにもなるから、それは注意が必要だね。そもそもそれらの意味とか価値はいつも後付けであなたが決めていることであって、最初から絶対的に存在しているものではない。ただ、改めて見返してみるというのも、それらを補強する意味では悪くない選択肢でもあるよ。