ありがとうの人生

日々

人生という体験

日々いろんことを体験している。これまでを振り返ってみれば思い出話がたくさんあるね。もちろん、良かったこともあっただろうけれども、うまくいかなかったこともたくさんある。そういう悲喜こもごもの出来事をまるごと見つめたときに、あなたの人生はそこに浮かび上がるわけだ。ところが、その一部分だけを取り出して、良かった悪かったと言い出せば、おそらくは思い通りにいかなかったことばかりを思い出して、最悪な人生だとまとめてしまう。そもそもうまくいったとかいかなかったとかは、明確に境界線や色がついているわけではなく、ぼんやりとそんな感じがしているだけに過ぎない。成功した、うまくいったしめしめと思った出来事があったからこそ、今あなたは辛い日々を過ごしている要因になっているとも言える。あるいは、そのときはとても大変だったけれども、そのおかげで今はのんびり暮らしているかもしれない。成功とか失敗とか言いとか悪いとかはあなたがそう思っているだけのことでしかない。

おかげさま

うまくいかなかったときの原因を探せば、あなたはその犯人探しをあっという間にやってのけることができる能力が備わっている。逆に成功したときの原因は、あなたの苦労のおかげだと思い込む癖がある。人のせいにしたり、運のせいにしたり、環境のせいにしたりするのはなぜか得意になっているね。そういうあなた以外の要因に関してはかなり敏感だとも言えるわけだ。けれども、あなたの思わぬところでの称賛に関しては、その原因が実はよくわからない。仕方がないのでこれまでの苦労話をするしかないわけだ。それで有頂天になっておごり高ぶってしまえば、足元を救われるかもしれないと危機感を感じているのはそのせいだね。運とか努力とかでそれを説明しようとしても、結局のところこれまでのいろんな関係性によってなるようになっただけであって、そこにあなたが介在した痕跡など微々たるものだね。そういう意味では運だけだとも言える。

流れるがまま

名声や栄光もいずれ過去になって、あの時は良かったなんてつぶやくようになる。すべてが起こるべくして起こって、それがとどまることもなく流れて変化し続けている。それが自然の姿であり、本来の人生そのものだね。あなたはそれを部分的に切り取って、これは良い、これは良くないと戯れているだけだ。小川の小石を一つずつ手にとって、あなたのお気に入りなのか、そうでないかと弄んでいるのと同じだね。そこだけに注目しがちだけれども、そもそも小川にあなたがいて、そうやって小石を手にすることができることが奇跡なんだ。そしてそこには小石だけではなく、清らかな水があり、草木や生物も見える。空を見上げれば雲が浮かび、常にカタチを変えて流れ続けている。そこで展開されている様々な出来事にはすべて感謝しか生まれないね。あなたをすべて支えているそれらがあなたそのものなんだからね。