余白と余剰
求めるもの
あなたはいつも何かを求めている。もっと幸せになりたいとか、もっとお金がほしいとか、もっと大切な何かを得たいとかだね。そうやってどんどん求め続けていると、もちろんそれなりに手に入ってしまうことが多い。その結果、手にしたものを維持するための作業でいっぱいになってしまう。せっかく得たものを手放さないように細心の注意を払ったり、せっかく得たものを使いこなすのももったいないと思ってかえって使えなかったり、お金が貯まっていくのを喜ぶがあまりに、それを使って減ったりすることに敏感になりすぎたりする。豊かな人生を送るためにそうしたはずのものが、かえってそれが足かせになってしまっているわけだ。いろんなものを得られたという達成感と、それを失う恐怖感を天秤にかけてみると、実はたいしたものを得てもいないのに失う恐怖ばかりが募ってしまう。それではなんのために豊かになったのかもよくわからなくなってしまっているわけだ。
何も減っていない
結局は、何かを得るということが豊かさや幸せになるということとは別のことなんだね。まずは幸せの前提として足りないものをまずは数えること自体が間違っているとも言える。必要なものが必要な時だけあればそれで十分だということだね。それほど余裕はないかもしれないけれども、急な出費に耐えられることが本来の喜びだね。結局のところ、あなたの手元にあるお金を支払うことができるということが何よりも幸せなことであって、それ以上のお金は今は必要ではないということだ。なにかあったらどうしようと毎日心配するがあまりに、万が一に備えるために、ちょっとしたものを買うのも我慢しているのは、本来の幸せとはずいぶんと真逆な生活だとも言える。食べたいと思ったものを、今買うことができるということ、それがあなたにとってのすべてであり、それ以上は不要なことだ。しかしながら、あなたはいつもそれ以上のなにかがあるかもしれないとビクビクしながら過ごしているわけだ。
余剰
そうではなく、あなたに必要なものは余裕だね。余白とも言える。それは十分すぎる富や地位を得ることではなく、それらはかえって不幸を引き寄せてしまうわけだ。今100円あって、50円のものを買うことができる。もちろん200円のものが必要となれば今は買うことができない。それを不幸だと思いこんでいるし、恐怖に思っている。けれどもそれが本当に必要なのか、他に代替できるものがないのかは吟味する力はあるね。老後2000万円問題とかで、貯金がないと先々不安で仕方がないということがまことしやかに喧伝されている。その種明かしをすれば、マーケティングの本質は恐怖に陥れることなんだ。これほど商品に溢れた社会で、突出して売上を伸ばすためにはそれ以外の選択肢を排除して、それしかあなたを助けられないと思い込ませることだ。今はお金がなければ幸せになれないと恐怖を煽ることで、お金にまつわる商売が繁盛する社会だからそれは当然のように思い込んでいる。余裕や余白はそこに何も無い空間が広がっていることであって、有り余る富で埋め尽くされていることではない。そこがわかればあなたはすでに豊かな人生を送っていることになるんだよ。