あなたの影
概念
すべては概念の組み合わせでできているわけだね。それらの架空の認識を組み合わせることで世界が浮かび上がり、あなたという自我であったり、他人という存在があったりする。それらはすべて概念であって実在するかというと疑わしいわけだ。もちろんあなたの概念上では存在しているわけではあるけれども、世界はあなたとそれ以外という概念を組み合わせてできているだけであるし、他人もあなたがいるという前提条件が必要だ。それらの部品を組み合わせてトータルな世界が広がっていると思っている。けれども、それらの本質を掘り下げてみてみると、果たして本当にそれがあるという証明は難しいわけだ。そもそもその出発点はあなたがいるという大前提がないと、それらは急速に曖昧なそれとなるからだね。あなたは当然今ここにいると思うことで、あなたという存在は確固たる地位を獲得しているわけだけれども、それを揺るがす何かがあればあっという間にすべてが怪しくなるわけだ。
戯れ
そうやって概念上の存在に実在を与えて、あれこれと思案しているその正体すらあなたであるのか、それともそう思わされているのかという問題が残ってしまう。いろんな出来事を体験することであなたはあなたであるという認識を得るわけだけれども、逆に言えば良いも悪いも何も体験できずにいるとなると、あなたがあなただと認識することさえ困難になってしまう。幸せでも不幸でも何でもいいから、あなたを揺さぶるなにか出来事がないとあなたの存在はすぐに曖昧になってしまうね。ところが、あなたはそういう波風すら受けたくないと切望している。できれば何事もない人生を送りたいとね。もちろんそれは叶うことはないんだけれども、万が一そうなってしまったら、もはやあなたはこの世で生まれて生きているという実感を得る機会を失うのと同じ状態になってしまう。だから波乱万丈で波風を厭わず、それを真正面から受けつつ生きている今を愛おしく思っている。
幸せだからこそ
そうやってあなたはいろんな出来事によってあなたが浮き彫りになるからこそ、あなたは愚痴の一つも言えるわけだ。そしてそれは少しばかり喜びも含まれているはずだね。不幸自慢ができるのも、いろんな対象的ななにかがあるおかげだ。まるで光が当たれば影ができて、その影ができることを確認することで、あなたの実在を確かめることができる。真正面からそれらを見ようとしても、一生見ることはできない真実から目をそらすこともそのせいで可能になるわけだ。あなたはいつも影を見て、あなたがそこにいるんだと安心しているわけだ。もちろんそれは影でしかないわけだから、その影があなた自身であるという直接的な証拠には不十分なことも知っている。でも、影があるから何かしらそこにあるんだろうという安心感は得られるわけだ。何者でもないあなたが、できればあなたが思っている存在であってほしいという夢をそこに託すことができるのだからね。