約束の地
ありがたい
人生はありがたいことばかりでできているね。そのありがたさというのは当たり前だと思えることからそう言えるわけだ。すなわち、なんてことのない人生なんてつまらないと普段思えること自体が、それを証明しているようなものだ。今日という一日が何の変哲もない日であったこと。それこそが、ありがとうと言える対象なんだ。ところが、それが当たり前だと思いこんでいるがゆえに、そんなふうな毎日を送るために生まれてきたわけではないと思い込んでしまう。それなのに、ちょっと思い通りにいかない日があったら、なんてあなたばかりにそんな辛い仕打ちが起こるのだと大騒ぎしている。それだけにフォーカスして、やっぱりあなたは周りに比べて不運で不幸な人生を強いられていると嘆き悲しむわけだ。もちろんそうなった状態は流れる河の流れに対抗している岩のような状態なので、スムーズに流れている河そのものではなく、一人それに抗っている状況と同じだ。その激流に踏ん張って耐えているという意味では、まさに不幸の真っ只中だと感じるのも致し方ながないわけだ。
感謝の実態
流れにのって河を下っている小石は、その時々で角を丸めながらコロコロと流れている。それこそが人生であり、そうなることで角が徐々に丸まっていくことがありがたいことの本質だね。角がとれて丸くなればなるほど、流れに沿いやすくなるからだ。もはや何もひっかりもなく、流されるがままスムーズになんの抵抗もなく進むべき下流へと運ばれていくわけだ。どんどん丸くなって、小さく身軽になって行き着く先は大海という大いなる終着点に何もせずにたどり着くわけだ。そうなることが幸せであり、なんのひっかりも抵抗もなくあらゆることがスムーズに流れていく様子でもある。あなたがあなたであるという主張をすればするほど、急流に逆らってどっしりと踏ん張ってしまう。踏ん張れば踏ん張るほど、流れを一手に引き受けることになり、疲弊することになることは想像に固くないね。自らそうやっているのにあなたは不幸だと嘆き悲しんでいる様子は、周りから見れば滑稽な様子でしかない。
身を任せて
大いなる流れに身を委ねることが、あらゆることがなるようになるわけだ。それに抗ったところで、流れそのものが止まるわけではなく、あなたがそれをせき止めいようとしているだけのことだね。そうしようとすればするほど、真正面からすべてを受け入れることになる。少しぐらいのそれならなんとかなったとしても、それをずっとやり続けるには明らかに力不足だ。さらにそれがあなたの夢や希望という勘違いであるから、なるようになるということを素直に受け入れられない。でも結局はそれをわざと楽しんでやる分には何ら問題はない。なぜならいずれその流れによってあなたは丸く削られていくからだ。最終到着点はもうすでに最初から約束されているわけだけれども、あなたはそこにたどり着くまでになにか傷跡を残そうとそこに踏ん張っているだけのことだからね。やがてあなたは丸く削られて、大いなる海へとたどり着くシナリオは決して変わらない。さて、それをわかったうえで抗うのならば楽しもう。それが辛いのなら流れに身を任せてみよう。どっちにせよ同じ場所へ運ばれていくのだからね。