あなたが消えたとき
茶番
この世はほとんど茶番で溢れている。別にそうだからと言って悲観しているわけではない。茶番だと思っているぐらいがちょうどいい具合を探すのにもってこいなだけだね。何が正しいかという議論が、いつの間にかあなたが正しいという証明に躍起になっているだけだとか、あらゆる可能性を認めるのはとても疲れるので、もうこれが正解だと決めて落ち着きたいというあなたがその裏側が真実だ。だから議論そのもののは楽しめるものであれば、人生に彩りを与えてくれるだろうけれども、何かを論破することにすり替わってしまっては、そこには疲弊しかない。何を信じるのかはあなたの自由だけれども、それを個人的に楽しめば良いものを誰かを巻き添えにしようとしてしまうのは得策ではない。それもこれも言われなくてもあなたはすでに十分に知っている。そのはずなんだけれども、やっぱりあなたが誰よりも愛されて優位になりたいという競争に今日も奔走してしまっているわけだ。
論破
論破をすることや口喧嘩に勝つことばかりに意識が向いてしまえば、そこで試合終了だね。なぜなら、何かを強く主張するためには、それ以外の可能性をすべて捨て去らないといけなくなってしまうからだ。あなたに残されたたった一つの正義を守るためにそれ以外の幸せを同時に捨て去ることになる。それをやってみるとすぐにわかるのだけれども、そうやってあなたが依拠する世界はとても狭隘なものになって、薄っぺらな存在となってしまう。多様性を認める時代だと言っても、あなたの正義に反するそれらは、本心で言えばなくなってしまえと思うしか選択肢がなくなるわけだ。一つの問いには一つの答えに固定したいという欲求は、いつの間にかあなたの強力な原動力に変わってしまっている。もしかしたら、だとすれば、と思い直して、違う事象にフォーカスすることすら困難になって、結局のところあなたはあなた自身の信条とやらで雁字搦めに自ら縛り付ける羽目になる。もはや本末転倒な状態なんだけれども、そこから抜け出す方法すら見失ってしまうわけだ。
依拠
あなたが依拠しているそれらは、全ては一旦の仮のものでしかない。とりあえずこれがしっくり来るとか、もっと言えばすべてを納得しているわけではないけれども、どちらかといえばこれかな、ぐらいなものでしかない。しかしながら、気がつけばそれしかないと思い込み、そこを揺るがすなにかが起こると、しがみつくものがそれしかないからそれが絶対化してしまうだけだ。それなのに、それが世界の真実だと思うことで幸せに生きられるどころか不幸に感じることが多くなる。それでもあなたはそれを手放すことができずに、躍起になって掴み続けてしまう。そもそもはたまたま近くにあったそれらを、今度はなぜか正当化することがあなたの幸せだと勘違いしてしまうわけだ。なぜならそれがなくなったらあなた自身が消えてなくなってしまうと思い込んでいるからだ。いやいや、根本的に間違っているのは、あなたはどこにもいないのが真実であり、どこにもいなくなった瞬間が至上の幸せな瞬間だということと反するからだね。