日常に華を添えて
思考
そう思っていたらそうなる、なんてまことしやかに語られる事が多いね。確かに思考が始まらないと目の前で起きていることに対応し始めることはない。ボーっとしてみたらわかるように、たとえ目の前で大惨事が起こっていようともそれに対して問題意識がなければただ眺めているだけだろう。ハッと我にかえって、こりゃ一大事だと認識して思考を始めた瞬間にどうしようどうしようと騒ぎ始めるわけだ。だから、思考が現実化するというよりも、思考によって現実として認識し始めると言った方がいいかもしれない。あなたがそれを気にかけて考えているうちは、その解決に躍起になっているだろうし、あなたが知らないままで他のことを考えているうちは、そんなことすら意識に上らないわけだ。ということは、思考がすべての災いごとを起こしていると言っても過言ではない。心配事や不安も思考がそれをもたらしているだけで、仮にそれすら認識することができなくなってしまえばあなたは本来のあなたに戻るわけだ。
一時の幸せ
そんな生活の中で、あなたが幸せを感じるときには、思考するあなたがどこにもいない。もはやあなたは全体の中にすっかりと溶けてこんでどこにもいない状態に近いわけだ。温泉にゆっくり使ってその温かさと温泉成分の匂いを感じている時、目の前に広大な景色が広がっているとき、美味しいものを食べてその味わいを感じているとき、得も知れない安心感がそこにあるだけだ。ところが、思考が始まって明日の仕事のことを思い出したり、電話がなって同僚のトラブルを告げられたり、支払いについてその金額を数え始めたりすると、その瞬間に思考が始まってもはや幸せの一時から引き剥がされてしまうわけだ。どうやら思考は至福な時間を奪ってしまう傾向にあるようだね。生き馬の目を抜く時の流れの中で日常を生きていると、ついつい安心してはいけないという不安が常に発動していて、そんなことに浸っている場合ではないと思ってしまう癖がついてしまっているわけだ。だからどこにいてもなにをしていても気が休まることがないね。
彩り
だからこそ、そんな中でも大切なことがある。それはどんなに問題ごとがあったとしてもそこにユーモアや彩りを添えることだ。真面目で完璧主義に支配されてしまったあなたはそれを無駄だと排除してしまっている。けれども合理主義すぎるとすべてはサバイバルのために捧げる人生と化し、常に戦闘モードでいなければならなくなってしまう。戦場にアイスクリームマシンを持ち込んだ米軍が最強を誇ったように、その中でも彩りと楽しみを見つけることが結局のところあなたを強くする。それは、まさに人生の幸せの本質を捉えているからだ。仕事や用事だけを合理的に処理するだけの人生は、その毎日に消耗して終わってしまう。たとえ大きな問題を抱えていても、忙しくて目が回りそうな状況であっても、そこに彩りを添えることを忘れないことが生きることの主題であって、その他はおまけに過ぎない。あなたが全くその場所で溶け込んで感じる幸せは、いつでもどこでもあなた自身が主体的に生み出すことができる力が備わっている。だから、ちょっとした遊び心と彩りを添えることを忘れないでいよう。無駄なことや無意味なことほど、あなたが幸せに生きるための彩りなんだからね。