花のような人生
厄介事
あなたの人生は厄介事だらけで嫌になっているね。でもその厄介事や問題は、実はあなたが生み出しているとすればどうだろう。いやいやそんなことはないよ、だってあなたは平穏無事で幸せな毎日を過ごすことを心の底から望んでいるのだから、と反論するだろう。けれども、実はそれらはあなたがまさに「そればかり気にかけている」からこそどんどん増強されているものだ。そう、実は本来あなたが気にしなければあなたはそれすら気がつかないものなんだ。あなたがわざわざそれらに注目するからずっとあるわけで、あなたがそんなことあったっけ?って忘れてしまえば、どこにもそれらはなくなってしまう。認識するからそこにあり、認識しているのはあなたであり、そんなことを忘れてしまおうと思えば思うほど、それらにエネルギーを注ぐことになっている。それが証拠に、思い返せば、そんなだいそれた決断や行動をよくできたものだと思えることばかりでこれまでの人生は埋め尽くされていることに驚くことばかりなんだからね。
気にしない
だから、気にしないようにしようとするだろう。けれども、気にしないようにしようとすればするほど、逆に意識しているという矛盾がそこにある。もはや気にしないでいようと思うことすら忘れてしまっているからこそ、何も起きない平穏な日々がそこにあるわけだ。ということは、気にしないとも思わないなんてことのない、あなたにとってはつまらない日々こそが実は平穏で幸せな状態そのものであるとも言えるね。だから退屈だったり、平凡だったり、なんてことのない日々をありがたいと思えるようになれば、あなたにとっての幸せは最大になっている。けれども、さらなる刺激がないと満足できないと思い込んでいるからこそ、いろんなことにフォーカスを当ててわざわざ災いごとを起こしている。もちろんそれが生きる意味だと思っているし、そういう傷跡がないとあなたが生きた証がそこに見いだせないからそうしている。いずれにせよ、あなたは生きた証を何らかの形で求めすぎるがゆえにそれらが起こっているとも言えるわけだ。
人生の花
花はそういうことをあなたに伝えてくれている。花は必ず条件が揃えばきれいに咲き誇るわけだけれども、それもほんの束の間であって、すぐに散りゆく運命だね。それが自然であり、あなたもその一部なんだよと伝えてくれている。でもあなたは、できればずっと咲き誇っていたいし、その時間が長ければ長いほど幸せだと勘違いしている。だから散りそうになったときに色々ともがいてしまうわけだ。けれども花はとても凛々しく、潔く見事に散っていく。それを見てあなたはそこから何かを感じるからこそ、それを愛でているわけだ。それすらもわからない幼き頃は、大人が花が咲いたか咲かないかぐらいのことで大騒ぎしている意味がよくわからなかったはずだ。それはまさにあなたがその当時満開であったわけで、そのありがたみとか奇跡を感じ取ることができなかったからだね。悲しいかなそれを失ったときだけ、それらのことがわかるようになっている。だから花は散るから美しいわけで、いつまでも咲き誇っている花に心揺さぶられることはない。それがあなたそのものの写し鏡としてほんの僅かな時間に重大なヒントを与えてくれているわけだね。