思ってた通り
思考は現実化する
よく思考やあなたのマインドセットによって、その通りの世界が構築されると言われているね。それはいわば当然のことで、あなたがこの世は苦で満ち溢れて、何も良いことがないと日頃から思っていれば、そういうメガネを自らかけて見ているのと同じになる。だから、やっぱりそらみたことかということばかりが目につくようになる。そうであるからあなたは自らの判断が正しかったと思って胸をなでおろしてある意味合点があって安心している。でも、この世は幸せがいっぱいに満ちあふれていて、どんなことにも良いことが含まれているというメガネをかけてみていると、同じ出来事があったとしてもあなたはそれをそうやって見ることになる。だから、ほらやっぱり良いことしか起こらないと信じるわけだ。これほどシンプルでわかりやすい現象はほかには見当たらないぐらいのものだ。それを大げさに思考は現実化する、なんて言っているに過ぎないわけだね。
安堵
いずれにせよ、それらのアンコンシャス・バイアスを持って世界を見て、思ってた通りになることで確信してなぜか安心している。ある意味良いも悪いも超えて、思っていた通りになっていることに対して信じるようになっている。それがこの世の真理であるかのように思っていくわけだ。だから、真逆なバイアスによって世界観が二分するのはそのせいだね。良いことばかりで幸せいっぱいな人生だと主張する人がいる一方で、何もかもが最悪でこの世の終わりが見えていると主張する人もいる。それぞれどちらが正しいかと論争してみても、いつも平行線をたどるのも致し方がないわけだ。その理由は明らかで、どちらで同じものを見る癖があるかということで大抵のことは決定づけられてしまうからだね。となれば、そのやっぱり思っていた通りと安堵しているけれども、その安堵はそもそもの前提条件で決まっており、その違いを補完するようななにかはどこにもないことに注意したほうがいい。だからほら、やっぱりということほど怪しいと思うぐらいがちょうどいいわけだ。
想定外
そうであっても、ほら、やっぱりと思えないことが続くことがある。それはあなたへのプレゼントなんだ。凝り固まった固定観念を書き換えるという意味でね。あなたはいつも何かしらの他人軸のメガネをかけて世界を見ていて、それが常識だとか、正しいとか、そういうあなたを自慢するかのごとく演出している。けれども、その格好をつけたメガネ越しで見た世界は実は真実とは遠いものだということだ。そこに気づけば話はとてもシンプルになって、そのメガネを外せばいいだけのことなんだ。けれども、あなたはメガネをかけているということすら忘れてしまっている。だから、かけた覚えのないメガネをどう外せばいいかがわからないわけだ。そのためにはどうすればいいのかと言うと、メガネをかけていないと思い込んでいるのならば、あえて違うメガネをその上からさらにかけてみるといい。ダブルメガネになればおそらくは目がくらくらして気持ち悪くなるだろう。それをきっかけにして見るのも一つの方法になる。もちろんうまくいかないこともあるだろう。なぜなら実のところあなたの目にはすでにひとつだけではなく、おそらくは自覚できないくらいの経験というメガネをたくさんかけているからだ。だからあなたが誇っている過去の経験や誇らしげに思うことはときにそういう弊害もあることに注意するといいね。