理由は後で考えればいい

日々

枠の向こう側

あなたは常に理想を追い求めている。それにはそれなりに正当化できたり、説明できたりする理由があるからだ。言い換えればそういった理由に縛られた毎日を過ごしている。だから、理屈どおりに物事が進まないと不安になったり、ついてないと思ったりして不幸になるわけだ。一方で幸せは無条件で幸せな状態だね。そこになぜ幸せかを考え始めた瞬間に、それほどでもないことが見つかってそうした時間はあっという間に消えてなくなってしまう。すなわち幸せは思考で実現できるものではないね。だからあなたはいつも苦悩に満ち溢れた人生を歩むことになる。あなたの思う幸せは説明ができるからだ。得も知れない充実感や、なんてこのない日常が実は奇跡だという実感を持つだけで幸せなんだけれども、これってどういうことだろうと考え始めたら幸せが遠ざかるのならば、あなたが考えた理想を手放すことが実は真っ先にやらなければならないことになる。なんだか奇妙な感じだけれども、それしか実は幸せを感じる時間を増やすことはできないというわけだ。

逆境という学び

だから、理想通りにならない現実こそが、幸せの中にあるとも言える。説明が難しいのだけれども、なんとなく幸福感で満ち溢れた午後のひとときであったり、親しい友人と特に議題があるわけでもなく、とりとめのない言葉のキャッチボールを楽しんでいるとき、それこそが実は幸せの正体なんだ。それなのに、あなたは思考によって不幸を避けようと常に防御線を考え続けている。それ自体が不幸の扉を開いてしまっていることさえ気がつかないままでね。逆境ばかりの人生が不幸の真っ只中だと嘆く前に、あなたが理想だとしているそれらがあるからそうなっているだけで、特に目的も意義もなにもなく、ただお茶を飲んでのんびり過ごしていることだけを感じていれば、生きるということの本質にすでに触れているわけだ。こうあるべきという固定観念を手放すことができたならば、その瞬間からあなたは幸せに触れることができるのはそういうことなんだよ。

すべてを受け入れる

だから、理想は単なる一つのシナリオであって、それは架空の物語でしかない。それを看破できたならば、それをうまく幸せな人生にエッセンスとして取り入れればいいだけだ。あくまでも主役ではなく、名脇役と言ってもいいぐらいのものだ。迷惑役を無理やり主役でないといけないとたち振る舞ってしまうことで、あなたは悲劇の主人公を演じなければならなくなる。正義のヒーローは諸悪と常に戦わなければその主役を演じ続けることはできないようにね。なぜか悪役は不敵な笑顔をたたえており、正義のヒーローはそれを見てしかめっ面をしていなければ成立しない。笑って過ごしている場合ではなくなるのは、あなたが正義を演じようとするからだ。だからといって投げやりになって悪に手を染めろという意味ではないよ。そうではなく、清濁併せ呑むという言葉があるように、正義のヒーローではなく、変幻自在の通りがかりの人になればいいだけのことだ。ヒーローという理想を手放して、なんでもない通行人だけれどもあなたがその時々で自然と心地よい行動を自ら選択することで、あなたはその理由探しを手放すことができる。理由は後でゆっくり探せば良いぐらいのものなんだからね。