まさかそんな人とは

日々

まさか

よくあるのが、普段は大人しくて礼儀正しくて、まさかそんな人じゃなかったという感想を述べる身近な人がいるね。でもそれは本当の知り合いでも、ましてや親しい友人でも深い仲でもなんでもないからそうなるんだね。あなたが思ってたような人ではなかったと思った時点で、あなたはその人とはなんの関係もなかったということだ。ましてや親子において、うちの子に限ってそんなことするはずがない、なんてしれっと言う親は深くつながった親子ではない。思っていたのと違うという時点で、本当の絆や関係が構築できていないということだからだ。すなわち、月日を積み重ねてきたいつもの関係は実は上辺だけで、お互いに騙し合いのそれでしかなかったという証左でもある。真の意味での親しい関係とは、良いも悪いも癖もすべてを知っていて、お互いにそれを隠すことも騙すこともなくさらけ出したとしてもそれを信じ合ってつながっている状態のことを言う。だから、あなたが知らなかった側面があるとするならば、残念ながらそれは表面的な関係でしかなかったということだ。

親密

とかくこの世の親密さは、どんどんと表層化して隠し玉の一つや二つを持っていないと、すぐに足元を救われてしまうような世界になっている。イツメンとかマブダチとかそんなふうに親友を表現するようになって以来、ほんとうの意味での人間関係を構築することが危うくなってきた。だから本音で語ったり、素直に今の気持ちを誰かに吐露することは、リスクでしかなくなってしまったわけだ。いかに自分を良い風に演出することができるか、自慢の匂いがすると嫌味になってかえって逆効果なことは知っているから、へりくだって遠慮気味だけれども、いかにあなたが有能で優秀かを醸し出せるかという能力こそが、いい人の条件となってしまったわけだ。そんな世界では表面上の騙しあいの世界でしかなく、なにか事が起こってから驚くふりをしている。もちろん、親しいというのもどこか嘘だということもあなたは知っていて、それでもそこでギスギスしては生き辛くなるのを避けることだけをいつも考えて行動しているというオチだね。もはやそこにはあなたしかいないと言っていいだろう。

本音

そうやって、親友だと偽った仲間の中でさえ本音を隠して生きている。ひどい話では、いわゆる親友同士であっても当事者がいない場所で悪口を言い合ったり、それに迎合してその場を取り繕うことに全力を傾けている。それはやがてブーメランのようにあなたにもかえってくることを知りながらね。陰口や悪口を言ってしまうと、必ずそれはあなたがいない場所でも同じことが起こっているのは間違いない。それは負のエネルギーの循環でもあるからね。そもそもそういう呪詛は、一旦吐き出されてエネルギーを与えてしまうと、やがて回り回って増大化して返ってくることになる。それほど良いも悪いも言霊にはパワーがあり、それを多くの人が発することでとてつもなく増幅されてしまうものだ。それほど危険なものであるからこそ、慎重にならなければならないわけだ。すなわちあなたについて誰かが聞いたとして、まさかそんな人だとは思わなかったと言われるのはむしろ当然のことと言っていいだろう。