仕事は適当に

日々

幸せいっぱい

あなたが幸せいっぱい、夢いっぱいのときは、どんなことが起こったところで、あなたはいつも幸せだろう。他人からみたらとても大変そうに見える難題が降りかかろうとも、あなたはそれを笑顔で受け入れている。何が起こってもそれをはねのけるだけのパワーを持っているからだ。ところが、あなたが不幸のどん底にいると思っているときは、他人から見ればそれほどでもないような出来事さえ、人生の終わりと感じてしまうことになる。すなわち、出来事自体がなにか意味をもっているわけではなく、それにどういう意味づけをしているかだけのことだとわかるだろう。人との別れを悲しいと思っている人もいれば、新たな出会いの始まりだとワクワクしている人もいる。嫌な職場を退職して、次の新天地で活躍できることを夢見ている人もいれば、ここを辞めたら何をどうしていいのかなんにも見えず、絶望の淵に立っている人もいる。

意味づけ

出来事には意味はないということが、これらのことでわかるだろう。意味を持たせているのはあなただけだ。誰かから見れば羨ましく思えることでも、あなたはそれを良しとしないことだってある。その逆もしかりだね。実は幸せとか不幸とかなんだかんだ言っているけれども、絶対的ななにかがあるわけではなく、あなたがどう思うかだけのことであるというのが真実なんだ。苦労して大変そうだと同情を得たいと思っているのもあなただし、それほどでもないと思っているのもあなただ。自己顕示欲が強くて一番凄い人だと思われたいと思っているのもあなただし、そんなことより楽しんでいたいと思っているのもあなただ。要するに、あなたが不幸だと感じているときは、必ず他人の目が必要だということであり、あなたが幸せだと感じているときは、別に他人からどう思われようともなんとも思わないときである。となると不幸の仕組みがわかってきたのではないかな。

他人との比較

不幸の必要条件とは、あなた以外の誰かと比べなければそれを認識できないことだ。一方で幸せの必要条件とは、他人を必要とせず、あなただけがとにかく幸せだと思っていることだね。基本的にはある程度の苦労はあるにせよ、明日死んでしまうぐらいの出来事もなく、贅沢はできなけれども生きながらえるだけの食事をすることはできる。それだけで十分に幸せなんだけれども、もっと贅沢をして、他人に羨ましく思われて、地位と名声を得られたらなんて思った瞬間に、あなたの生活がみすぼらしいものに変わってしまうわけだ。だから、他人と比べることさえしなければ、あなたはあなたの中でずっと幸せな日々を送ることができる。ただそれだと不必要なものを自慢しあうような資本主義の世の中では都合が悪い。だから、あなたも生活の糧を得るために、そうやって他人の不安を煽り、不釣り合いなものを欲しがるように扇動することが仕事となっている。そこから少しだけ距離をおくだけで、本来のあなたを取り戻せるのならば、あまり仕事は真面目にしないほうがいいかもしれないね。