身も蓋もない話

日々

心の曇り

あなたの世界が曇って見えるのは、あなたの心がそうなっているからに過ぎない。そのもやもやの先には素晴らしい景色がずっとそこにある。あなたがこの世は地獄だと思ったならば、そう見えるメガネをかけてやっぱりそうだと思える世界を見ているだけだ。あなたが素晴らしい世の中だと思えば、それもやっていることは全く同じだね。すなわち、あなたの心がいい景色にも地獄絵図にもしているだけのことだ。ならそのもやもやの原因を取り除けば、クリアな視界がいつでも広がる。そういう意味ではあなたはあなただけの世界を生きていると言っても過言ではないわけだ。色々と心配して、なにかと悩み事を抱えているのも、全くもってあなたのせいであって誰かやなにかのせいではないね。何をどう見ているのかも、あなたが見たい方向から見たいように見ているだけなのだからね。曇りはいつもあなたの思考から発生する。だからといって思考停止せよと言っているわけではなく、そういう性質を上手に使いこなせばいいだけのことなんだ。

メガネ拭き

だから、思考してもやもやしているのをシンプルに楽しみのためにやっていると思えるならばそれでいい。ところが何事にも度を過ぎてしまうと、薬も毒になってしまう。それが苦しみばっかりに変わりそうならば、まずは思考を緩めるか、もしくは違う方向から思考することによって回避する技を覚えたほうがいいね。そうやって変幻自在に思考を操ることができる人は、一般的にはポジティブだと呼ばれている。何かを失ったという情報だけで、人生そのものを破壊するほどの衝動的な行動に出たり、誰かと別れたというだけで、自暴自棄に陥ったりするのは情報に振り回されているだけで、あなたはあなた自身の人生を生きてはいないわけだ。思考は情報を生み出すことができるけれども、それは先のもやもやを生み出すだけでしかない。それが目の前に現れることでお先真っ暗だと大騒ぎしているけれども、なんのことはなく自ら先の見えないメガネをかけて騒いでいるだけのことなんだからね。

幻想社会

あなたがこの世に生まれたとき、ほとんどの言語を知らなかった。だから何がどうなっているのかをすべて五感によって察知して、感性だけで受け取っていたはずだね。やがて言葉と出会い、あらゆるものや出来事が言葉によって分類されてきた。それまでは一つしかなかった世界が、それと同時に細分化され分断されてしまったわけだ。それを思考によって再び大きな一括りとして認識し直しているのが今だとも言える。一旦分断され固有化されたものの中に関連性を見つけていってグループ化する作業を続けているのと同じだね。もともとは一つだった世界をわざわざバラバラにしてまた組み直しているなんて、まるでパズルを楽しんでいるかのようだ。そしてそのピースが見当たらないときに、あなたは大騒ぎして不幸だとかもうだめだとかすべてが終わったと思っている。それが全く杞憂であることは、もともと一つだったものがバラバラになったところで、かけらはいずれ見つかるに違いないからだ。もっと言えば、バラバラにしたと思っているのはあなただけで、そうもなっていないと言ってしまえば身も蓋もないかな。