過去を手放すとは

日々

いい人

あなたはいつも、できることならばいい人として見られたいと思い込んでいる。それは、あなたが今ここにいてもいいという自己肯定感であり、あなたのそういったこだわりの主張が心地よいものだと信じているからだね。もちろん、嫌な場所に我慢して居続けなければならないというわけではない。けれども、そのいい人というのはどういう人なのかを具体的にイメージしてみると、そこにある真実が見えてくる。いい人であるためには、仮想であっても悪い人がイメージできなければ、いい人の定義をすることができない。より良い人というのは、その真反対の悪人を思い浮かべてそうであってはならない、それは最悪だと思っているからこその存在なんだね。いわば最悪を知っているからこそ、最良の人物像を構築できるということだ。となればあなたはその時点でいい人ではなく、むしろ悪い人の側面をできるだけ隠そうと画策していることになる。そう、いい人であろうとすればするほど悪い人を常に思い浮かべてしまっているわけだ。

より良き理想

いい暮らしがしたいと思っているのは、今はそれほどでもないということだし、幸せを願うということは、今は不幸せだということだ。より良い社会を構築しようと声高に叫ぶ人は、今は最悪だからなんとかしなければならないと信じている。すなわち、願いが叶うという仕組みにおいて、今すでに叶っているのならばそれは必要がないということになってしまう。だから、より良き日々をと願う根源は、今はそうでもないということを受け入れていなければならないわけだ。だから、そう願う人が多ければ多いほど、この世は最悪だと言っていることになる。そういう不満足で満たされないということをある意味大げさに増幅していることと同じだね。だから、願いは叶ってハッピーということを強く思い続けるには、今ほんの少しでも足りないものを探すメガネをかけ続けることと同じとなる。そうではなく、今十分に満たされて幸せだということを感じることのほうが、実はより良き理想に近づく最短距離なんだ。

過去を持ち込まない

新しい環境において、あなたはそれを受け入れにくい状況にあるとき、あなたは今ではなくこれまでの過去を美化して、現状を受け入れられないからだ。本当はもっと評価されていい功績があるし、これまで誰よりも苦労して頑張ってきたはずだと思うがあまりに、それを理解してくれる人が少ない真新しい関係が不快なんだ。そんなことにこだわってより良き人として見られたいと思うからそうなるわけで、キラキラと輝いている人はそんなことなど関係なく、今を楽しんでいる。これまでのあなたなんて誰も知る由もなく、またそれをひけらかす必要もない。それは過去であり、その過去は今あなたが生み出した幻想でしかないわけだからね。思い出はその瞬間にはどこにもなく、いつも後で生まれるものだね。それを引っ張り出して今に当てはめようと必死になったところで、ぴったりと当てはまる場所はどこにもないのは当然のことだ。実はあなたのいい人として見られたいという思いが、今をぶち壊しているわけなんだよ。