科学信仰

日々

なんの理由もない

現代の科学はその理由を説明するのに躍起になっているけれども、実はそもそもこの宇宙はどうして生まれたのかという説明は、今のところビッグバンから始まったと考えられているとしか言えないね。季節が変わることも、雨が多かったり災害が起こるのも、おそらくはそうであろうという暫定的な説明にとどまっているわけだ。もちろんその理屈の中で、便利な文明の利器が次々と登場して日々の暮らしが便利になったと信じている。それも信じているだけで、そのトレードオフとして何が起こっているのかは上手に隠されているわけだ。現代は地球環境を維持しなければ、便利になったと喜んでいるだけでは持続可能ではないなんて言い始めている。あなたが毎日当たり前のように使っている電子機器は、電力が必要だとは知っている。SNSでつぶやいたり楽しさを共有したりして皆が笑って暮らせるものだと受け入れている反面、その裏側では轟音をたてて動きっぱなしのサーバが地球上に数え切れない規模で電力を消費しつつ稼働している。上手にそういう裏側を見えなくすることで、良いことばかりの世界がそこにあるかのように演出されているのが実情なわけだ。

根源

最近ではその反動で、地軸の傾きであったり、太陽の周りを公転しつつ地球が自転していることで季節や昼夜が生まれるといった説明であったり、そもそも地球は球体であるとかいう説明に疑問を持つ人もいるようだ。もちろんそれを自らの目で確かめた人は少なく、現代といえども宇宙旅行はまだまだ身近なものとはなっていない。いつまでもそんなふうだから、疑いを持つ人も現れるのは仕方がないことだね。なぜなら、あなたが見ている世界はあなたがそう決めているからに過ぎないからだ。それは信仰とどこか違うのかと問われて、うまく説明することができる人はおそらく誰一人いない。もちろん、科学論文や実証実験結果をエビデンスとして掲げることはできるけれども、実験結果や現象というのはそれを再現するための厳密な前提条件が必須となっている。そのとても限られた条件においてはそうなることが再現できる。けれども、状況が変わったら期待していたとおりにはならないことも多い。結局のところ万物をすべて理屈で説明することは、現代の科学でもってしても難しいままだね。

限定

だから、この場合はこうなると言った注釈がつくわけだ。再現可能性が高く検証可能なもの以外は科学として認められない。けれども、実験室で極限までに絞り込まれた作られた環境下においてそうなると言っているだけで、自然界でも上手に説明できるものは意外なことにそれほど多くもない。かつて万有引力を唱えたニュートンが引力によってものは必ず地表に向かって落下すると現象は、比較的世界中で再検証できることだけれども、その引力、もしくは重力がどうしてこの地球上で発生しているのかという説明はいまだ完全には難しいね。特にミクロの世界になればそれがどうなるかという議論はまだ続いている。あなたが見ている世界では説明が可能で検証も簡単にできることが、少し小さな世界になった途端に成立しがたいものに変わってしまうわけだ。あなたは見ているものだけを真実と思って、見えないものや上手に隠されているものに関しては知らないままなんだ。あなたが見えたいように見ているその世界は、ある意味一種の信仰でもあると言っていいのはそういうことなんだよ。