乗っているだけ
世知辛い世の中
何をするにも、何を思うにもあなたの思い通りには何一つならないこの世を儚んでいるね。でもそれは勘違いなんだ。この世があなたの思考によってどうにかできると思いこんでいる自我の方に原因がある。そもそも出来事が起こるのも、あなたが今ここにいるのも、あなたの思考のお陰でそうなっているわけではない。様々な要因がそれこそ無数に絡み合って現在あなたがそこにいるわけだからね。そういう意味では、あなたがどうこうしようとしていることそのものが無駄な抵抗であり、滑稽なことでもある。しかしながら、事あるたびにあなたの自我が良し悪しを判定して、その結果理想の状況というありもしない正しさを生み出すがゆえに、苦しみが生じている。そもそもそんなものに振り回されるのも馬鹿らしいのだけれども、あなたはある意味真面目にその喜劇というか悲劇をずっとこれまで演じ続けているわけだ。
あるがまま
だから、受け入れなさいとかあるがままとか、置かれた場所で咲きなさいというような言葉が巷に流行るわけだけれども、それらが伝えている本質はあなたが考えれば考えるほど逆の意味となってしまう。人生はなるようにしかならないといえば身も蓋もないのだけれども、あなたはこれまでになにか成し遂げたと思っていることすら、それもあなたのおかげでそうなったなんて原因を探れば探るほど怪しくなってくる。たまたま、偶然そうなっただけで、ならそれらを再現しようと躍起になったところで、やっぱりその通りにはならないわけだ。そこで、そろそろ自我でなんとかできるという勘違いを手放して、起きることすべてを受けいれなさいと伝えているわけだけれども、やっぱりなすがままだと不満に思ってしまう自我が強く主張してしまうわけだ。だって、やりたいことができて、行きたい方向にいけると信じているし、普段もそれができているという実感を感じているからだね。でもそれは大いなる勘違いなんだと認めなさいと言われたとしても、にわかには信じがたいのは無理もない。
万能感
なんでもできるぞ、という思いは、反面何もできないとも言える。大いなる勘違いが過ぎるがあまりに、なんでも自らの意思でできていると思いこんでいるだけで、実は再現しようとしてもなかなかうまくはいかない。もちろん、朝起きてお気に入りの服を着ることができるから、それが叶っていると信じている。けれども、それも含めてあらかじめ決められたシナリオなり台本が見えていないからであって、もしそれがあることに気がついてしまえばもう自らなんとかしてきたなんて思うことすら難しくなるね。そう、あなたが思い通りにやっていると信じていることは、すでにそうなるように仕組まれているだけのことだと看破してしまうとそうならざるを得ない。それを気づかせないように演出しているのがあなたが自由にしているという設定であり、演出なわけだ。あなたはなるようにしかならない。そう思うと悲観的に感じることも、実は台本どおりだとすればもう安心してそれに乗っかるしかないわけだ。それは決して不安とか不満とかも必要ではなく、見知らぬ街の電車に乗って車窓を眺めている状況と同じことになるわけだ。