それでいいのだ

日々

不幸

不幸とは幸せがないと成立しないね。だから幸せを感じたいのであれば、いつもは不幸であることが必須条件となるわけだ。ところが幸せだけをあなたが望んでいるのならば、決してそれは叶わない夢となってしまう。あなたがつらい思いをすればするほど、幸せをたくさん掴み取ることができるわけだ。なんて皮肉な話だと思うかもしれない。けれども、それは構造的にそう決まってしまっている。例えば真っ暗闇の中では、それこそ何も見ることができない。そこで感じることは、どうしたらいいかわからないわけだ。ところがその暗闇を突き刺す僅かな明かりを見つけたならば、間違いなくあなたはそれに向かって進むことができる。そういう意味ではそれは暗闇だからそうできるわけで、逆に真っ白な世界で僅かな光を見出すことはおそらく不可能だろう。そういう仕組みから鑑みると、幸せは常に不幸とセットでしか成立しないことを理解することができるようになるね。

希望

希望とか夢とか理想も同じ仕組みだとすぐに気がつくだろう。希望は絶望とセットでないと成立しないし、夢とか理想も、それ以外のそうじゃない状況がないと生まれることすらできないわけだ。だから、あなたがいつも感じているもやもやが、あなたの世界に理想を生み出すことができる必須条件なんだ。すなわち幸せを求めすぎると、その裏側の得も知れない絶望がないといけないし、夢や理想を求めるためには、強烈な絶望が必然となる。だから、あなたが今面白くないと思っているのは、決してネガティブでもマイナスでもなくて、それによってキラキラと輝く幸せや理想を描くことができるためなんだ。そういう意味では不幸や絶望は決して避けるべき悪いことではなく、幸せの真っ只中にいるからこその見える景色だとも言える。故に悪いことだと決めつけてしまうのは早計なんだよ。よく言われるように絶望とか不幸は、あなたにとってはチャンスでもあるのはそういう意味なんだ。

両極端

あなたはいつも幸せだけの世界でありたいと願ってやまないし、できれば夢がすべて叶うことを期待している。でもそれを実現するには皮肉なことに、それと同等の強烈な不幸や絶望を同時に併せ持たないといけなくなってしまうわけだ。なら、幸せも夢も希望もそこそこにしてしまえば、同時にそこそこでしかない不幸しかなくなるね。上り下りを大きくすれば急な下り坂と同時に急な登り坂が生まれてしまうのならば、山や谷を削って平らな道に舗装してしまうと、そこには希望も絶望も、幸せも不幸もなくなってしまう。さて、あなたはそれらを踏まえたうえで、どちらを選ぶだろう。達成感の絶頂を味わいたければ、エレベストに登るぐらいの命がけの山道が必然となるし、それを諦めるならばピクニックのようななんてことのない平坦な道が目の前に広がるわけだ。そうであれば今絶望や不幸を強く感じているとすれば、その代わりにあなたが強烈な夢や希望を求めているからだということになるわけだね。そのどちらが良い悪いとかではなく、あなたが望む世界が実現しているわけだから、もうそれでいいわけだ。